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佐藤広一

〔人物〕大正7年1月19日、宮城県刈田郡遠刈田新地の木地業佐藤広喜の長男に生まれた。昭和8年より父広喜につき木地を修業した。北岡仙吉の工場で働いていたが、昭和14年に巡査となり木地を廃業した。昭和16年応召し、昭和17年… 続きを読む

山尾武治

〔人物〕 明治34年6月30日、水戸屋旅館山尾今朝三郎五男として秋保町湯元字薬師に生まる。大正5年より佐藤三蔵に弟子入りして同7年まで木地挽きを修業した。師三蔵はこの頃すでにこけしは全然作らなかったため、兄弟子菅原庄七の… 続きを読む

山尾昭

〔人物〕 昭和2年3月30日、秋保町湯元字薬師のこけし工人山尾武治の長男に生まれる。山尾昭子は妹である。昭和15年ころより父武治について木地を学び、一時こけしを製作したことがあった。 昭和19年からは国民学校、中学校の教… 続きを読む

古関福太郎

山形県肘折近辺の出身で肘折で木地を挽いた人。〈こけしの郷愁・7〉によれば大沼新兵衛が佐藤周助の下で働いていた頃(明治35年頃)すでに年期を終えて職人として働いていたという。地味で堅実な人であったらしい。佐藤周助の息子佐藤… 続きを読む

朝倉秀之

〔人物〕昭和18年9月27日、宮城県遠刈田の朝倉英次、きぬの長男に生まれた。父の英次は遠刈田新地の木地師佐藤周吾、イシの二男、朝倉きぬと結婚婿養子となって、朝倉姓に変わった。英次は秀之誕生のあと昭和20年に三度目の応召と… 続きを読む

深見喜三

明治10年ころ宮城県栗原郡一迫町川口の農家に生まる。深沢要著〈こけしの追求〉の鳴子高橋万五郎の項にその名がある。万五郎の最も古い弟子と言われる。後に釜石へ行き、鋳物の型を挽いたこともある。脚気になって鳴子へ戻り、その後故… 続きを読む

深瀬国雄

山形県東村山郡双月村上山家(現山形市)出身。明治38年蔵王高湯の岡崎栄作の弟子となり、木地を習得した。弟の信好の妻の弟に当たる大宮安次郎を弟子にとり、大正7年ころ安次郎と共に及位の落合滝の木工所で職人をした。 ここで一緒… 続きを読む

佐々木染蔵

明治31年11月30日、農業佐々木染治長男として銀山温泉に生まれた。大正11年12月と大正13年12月に、区長だった藤屋旅館主人藤要吉の努力で、安藤齢太郎を木地講師とする山形県木地講習会が、林八旅館や、伊豆定雄の家でそれ… 続きを読む

佐久間芳衛

〔人物〕明治31年2月5日、佐久間由吉、フミの長男として福島市北町に生まれた。父の由吉は土湯湊屋の長男であったが、明治29年3月渡辺作蔵の長女フミと結婚して福島に出て独立し、北町で木地工場を開設していた。芳衛は幼時より父… 続きを読む

八鍬長作

明治9年、肘折のそばや八鍬長助の長男に生まれた。元来塗師であったが、大正6年ころ八鍬製椀工場を作り、川連より職人を招いて操業した。のちに長男長蔵、次男長太郎、三男長治に椀類を挽かせた。昭和19年4月15日没。長作自身はこ… 続きを読む