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菊地英次郎

宮城県加美郡宮崎村湯川(現在の宮崎町)の出身。菊地三九郎の弟である。明治37年ころ、兄三九郎の師匠である鳴子の高橋勘治の弟子となり3年間木地を作業した。勘治につれられて、盛、忠志、誓と共に烏川(加美郡宮崎村との境の山)へ… 続きを読む

菅野武志

明治39年ころ、宮城県白石市福岡村深谷に生まれた。大正7年13歳で山形県及位の佐藤文六の弟子となり、7年間修業した。遠刈田我妻信雄の父庄三郎もこのころ及位の文六のもとにいた。 のちに東京へ出て、転業し左官などをしていたと… 続きを読む

高橋久宗

〔人物〕  昭和5年10月25日、高橋与右衛門の長男として生まれた。 昭和47年10月より伊藤常治について木地の修業を行い、昭和48年10月からこけしを製作を始めた。 秋田県皆瀬村にあった家の作業場裏には広い畑があり、農… 続きを読む

疋田重安

宮城県玉造郡鳴子の岡崎斉の弟子。深沢要により〈こけしの追求〉で名前が紹介された。昭和8年春、14歳ころ高等小学校1年を終えて、斉の弟子に入った。父は鉱夫で、兄弟はたくさんいた。重安は腕はきわめて上手だったという。弟の重信… 続きを読む

テルヤ

大阪市南区長堀橋筋2丁目27にあった郷土玩具店。昭和11年3月ころ開店。経営者は木形子研究会同人の浦野泰正。夫人の名照子を取りテルヤという。夫人のほうが郷玩収集には熱心で、卯歳に因み兎の郷玩を集めていた。筒井が郷玩店より… 続きを読む

大沼由蔵

明治29年、宮城県柴田郡川崎村字前川権現塚農業大沼与四郎の次男に生まれた。長兄は大沼新三郎。明治40年青根山ノ湯の小原工場に入り、小原直治について木地業を習得した。大正4年ころ、青根を去って秋保で働いたが数年にして戻った… 続きを読む

大沼甚三郎

〔人物〕弘化四年四月一六日、鳴子大沼甚五郎、とめ(登免)の次男に生まる。母とめは大沼弥左衛門の三女。長兄に岩太郎、弟に傳五郎がいた。兄の岩太郎について木地を習得した。小物はあまり挽かなかったという。明治23年沢口吾左衛門… 続きを読む

大沼新三郎

明治26年5月25日、宮城県柴田郡川崎村字前川権現塚の農業大沼与四郎の長男に生まれた。弟には大沼由蔵がいる。明治40年15歳で青根へ移り、佐藤久助の弟子となって木地業を習得、19歳のとき 独立して遠刈田で木地業を開業した… 続きを読む

大沼勘太郎

こけし工人大沼誓の兄。 明治19年3月15日、鳴子勘五郎塗の塗師大沼安太郎、とよの長男に生まれた。父安太郎は大沼利右衛門の養子となった安吉の兄で、大沼勘五郎の長男である。明治35年16歳のころ、高橋利四郎の弟子となったが… 続きを読む

大沼なつ

宮城県玉造郡鳴子の大沼又五郎の二番目の妻。大沼又五郎は女房運が悪く、嘉永6年に最初の妻ちやを亡くしたあとなつを後妻とした。 なつは鳴子の高橋次左衛門の長女。又五郎と先妻ちやとの間にはの間にせい、りうの二女がいて、せいに高… 続きを読む