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斎藤源七

〔人物〕明治45年1月1日、山形県蔵王高湯の木地業斎藤源吉・しいの長男に生まれる。昭和元年堀田村第三尋常小学校卒業と共に父につき木地の修業を始めた。土産物店緑屋の経営も手伝っていたために多忙でなかなか木地挽きに専心できな… 続きを読む

大沼秀則

〔人物〕昭和34年10月7日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷のこけし工人大沼力の長男に生まれる。 昭和53年4月高校を卒業してから父の大沼力について木地を学び、こけしを製作するようになった。秀則名義作品は昭和54年から出してい… 続きを読む

渋谷安治

〔人物〕昭和15年4月16日生。昭和31年より宮城県鳴子温泉の及川正夫商店の職人となり、佐藤俊雄の指導により木地を修得した。こけし作りは見取り学問である。昭和33年11月発行の〈こけしガイド〉の初版で写真紹介された。昭和… 続きを読む

松田忠雄

〔人物〕  昭和31年5月2日、宮城県玉造郡鳴子町上鳴子のこけし工人松田三夫、淑子の長男に生まれる。中学校時代より木地挽きに親しんでいたが、昭和50年岩出山高等学校を卒業して、昭和52年より祖父松田初見、父松田… 続きを読む

佐藤末吉

〔人物〕明治38年3月10日、岩手県稗貫郡花巻町東町(現花巻市)に生まれる。大正4年ころ、青森県浅虫で開業していた姉よねの夫、鳴子出身の伊藤松三郎に弟子入りして木地の修業を行った。 大正5年頃より毎年松三郎にしたがって北… 続きを読む

田中敦夫

〔人物〕 昭和13年3月6日、米沢市宇綱木の農業田中定男の五男に生まれる。昭和29年3月中学校を卒業後、米沢の機業仲買店で働き、また武田信吉の下で5ヶ月ほど働いた。小野川の岡崎直志の工場でもしばらく働いたというが詳細は分… 続きを読む

星定良

〔人物〕昭和31年1月8日、岩手県宮古市白浜の木地業星博の次男に生まれる。父の博は山木地に近い仕事に従事していたので、兄の博秋について木地を学んだ。博秋は独学で木地を学んだが、宮城県に移り、小原の本田亀寿の指導を受けてい… 続きを読む

我妻東三郎

宮城県刈田郡遠刈田では、大正6年と7年に宮城県から約30名の弟子を6ヵ月養成するだけの補助金が交付された。北岡商店は佐藤広喜を講師として木地職人の養成を行った。 我妻東三郎はその時の弟子の一人。 他の主な弟子は、高橋林平… 続きを読む

新山栄五郎

〔人物〕 明治4年12月3日、宮城県刈田郡福岡村八宮弥治郎に生まる。農業・木地業新山栄七、みわの長男、栄助の兄。祖父栄吉は新山久治の祖父久蔵の兄にあたる。また父栄七の弟栄三郎は、新山久蔵の長女やのと結婚し、高梨由松の夫婦… 続きを読む

高野叔夫

〔人物〕 昭和11年9月19日、鳴子に生まる。父は鳴子の塗師高野一平。昭和27年より及川正夫商店の職人となり、大沼健三郎、佐藤俊雄の指導により木地を修得した。こけしは見取り学問である。〈こけしガイド〉初版で紹介されたが、… 続きを読む