カテゴリー別アーカイブ: 研究

友野祐三郎

婢子会の代表者として、各地こけし群像写真を始めて掲載した〈日本土俗玩具集〉全5輯を刊行した人物。 この友野祐三郎については、橘文策の手書きの〈こけし用語集〉に以下の様に書かれている。 「兵庫県在住の人、郷土玩具蒐集家とし… 続きを読む

我楽他宗

第1次世界大戦後から昭和期戦前ころにかけて存続した収集趣味家たちの交遊会名。寺号をそれぞれ雅号とする好事家の集団で提唱者は三田林蔵。三田は明治42年ころ自家を「趣味山平凡寺」として「我楽多宗」と称したが、大正8年末寺十ヶ… 続きを読む

大供会

明治 42年に集古会の会員の中で、清水晴風、林若樹、久留島武彦、坪井正五郎、西澤仙湖など特に人形玩具を愛好するメンバーによって 結成された集まり。 人形玩具に関する知識の交換を目的とした小さな会で、会合も会員の自邸の持ち… 続きを読む

橋田素山

本名繁彦、日本橋の生まれで大正10年9月に没した。趣味に生きた人で加山道之助可山とも親しく、土俗玩具の先駆者のひとり。もともとは納札、千社札の蒐集家で、著書に納札関係の文献史〈千社万別〉がある。 斎藤昌三はこけし蒐集の草… 続きを読む

三好米吉

関西の趣味人たちのネットワークの一翼を担った人。こけし古品を扱った乙三洞(森田政信)は三好と交流があり、三好の死後その家作で開業していたことがあった。 釈瓢斎による三好米吉の似顔絵  釈瓢斎は戦前の大阪朝日新聞「天声人語… 続きを読む

佐野健吉

品川新宿の山三駿河屋呉服店主(実際には布団屋に近い業態であったという)。 明治30年代から大正時代にかけてこけしを蒐集、少量高値で趣味人に頒けた。趣味多く、冨士講の世話人(先達)をしたり、千社札を貼り歩いたりもしていた。… 続きを読む

山中笑

明治から大正にかけて民俗、土俗の研究、習俗の調査や採録を行った人。筆名は「共古」。集古会会員。集古会にこけしを出品した記録がある。 嘉永3年11月3日(旧12月6日)江戸の四谷仲殿町西念寺(現在の東京都新宿区)の幕臣山中… 続きを読む

第1回内国勧業博覧会

明治10年8月から11月30日にかけて、上野の寛永寺本坊跡に建てられた煉瓦造の美術館を中心にして開催された博覧会。初代内務卿大久保利通の提案により、内務省の主導で開催された。 明治政府は明治6年のウィーン万国博覧会に初め… 続きを読む

加山道之助

明治中期に、こけしを集めた横浜の蒐集家。橋田素山と並んで極初期の玩具蒐集家である。 こけしも古いものを多く集めていたがその殆どを関東大震災で焼失した。焼失したこけしの中には高野幸八もあったという(佐野健吉談)。下掲の飯坂… 続きを読む

大野雲外

現在西田記念館に収蔵されている浪江古こけしを発見した人。このこけしは大野雲外から同じ集古会会員の清水晴風を経て林若樹の手をわたり、さらに西田峯吉の所蔵するところとなった。遠刈田の佐藤重松の作と推定されている。 胴底の紙票… 続きを読む