カテゴリー別アーカイブ: 蔵王高湯系

斎藤源吉

〔人物〕 明治18年5月1日、山形県蔵王高湯に生まる。酒造業斎藤忠治・いとの長男。忠治は斎藤松治の父勝治の弟にあたる。斎藤家は明治21年まで銘酒男山の製造を家業としていた。源吉の妹まつとつめはそれぞれ能登屋の岡崎栄作、久… 続きを読む

岡崎栄作

〔人物〕 明治19年9月2日、蔵王高湯能登屋の岡崎久作・ひでの長男に生まれた。母ひでは上ノ山士族鈴木良邑の長女、栄作の弟には久太郎、久助、重雄、久一郎、菊雄、作太郎がいた。木地技術は尋常高等小学校卒業後、叔父栄治郎に学び… 続きを読む

岡崎嘉平治

〔人物〕能登屋は蔵王高湯の旧家で、当主は代々嘉平治を名乗っていた。岡崎久作、栄治郎兄弟の父も幼名栄吉であったが、家督相続後戸籍を嘉平治に改名した。蔵王高湯の辻屋旅館・竜甘堂は嘉平治家の分家であるという。 こけし作者として… 続きを読む

岡崎幾雄

〔人物〕 昭和10年2月23日、蔵王高湯の能登屋岡崎嘉平治・まさの長男に生まれる。 祖父栄作は中風で倒れ、父嘉平治は戦地より病を得て帰国したまま昭和23年に没したので、祖父・父より木地の指導を受けることができず、父嘉平治… 続きを読む

田中恵治

〔人物〕昭和28年8月17日、山形県米沢市綱木の農林業田中金吾の長男に生まれる。蔵王でこけしを製作していた田中敦夫の甥に当たる。昭和47年3月に赤湯園芸高校を卒業、昭和51年5月から米沢の高崎栄一郎に師事して木地挽きを学… 続きを読む

柏倉喜平治

〔人物〕大正3年3月1日、山形県東村山郡山寺村芦沢の農家に生まれる。10人兄弟の末子であった。体格はよく、徴兵検査では甲種合格であった。太平洋戦争に応召、昭和20年11月に復員した。 復員後、将来を考えて木地の技術を身に… 続きを読む

遠藤幸三

〔人物〕 明治44年1月5日、山形市滝山村上桜田の農業遠藤源六の四男に生まれる。父の源六は農業の傍ら、村役場の書記も勤めていた。 そのころ蔵王高湯の土産物店主であった万屋斉藤藤右衛門(藤助)が木地師吉田仁一郎を伴ってしば… 続きを読む

橋本力蔵

〔人物〕明治36年12月8日、山形県南村山郡堀田村成沢の農業橋本清吉、ていの六男に生まれる。兄弟は七人。大正6年15歳で蔵王高湯の緑屋斎藤源吉の弟子となり木地の修業を始めた。その後、昭和8年31歳まで緑屋の職人を勤めた。… 続きを読む

岡崎常雄

〔人物〕大正11年5月18日、山形県蔵王高湯の木地業能登屋岡崎栄作、ま川(まつ)の三男に生まれる。母ま川は斉藤忠治の長女で斎藤源吉の妹にあたる。岡崎嘉平治、ツエ、ヨシエ、嘉一、常雄、竹次郎、嘉代子の男四人女三人の七人兄弟… 続きを読む

佐藤政雄

山形県山寺の富士屋旅館の息子で蔵王高湯の岡崎長次郎に木地を習い、山寺で約3年ほど木地を挽いた後、家業の旅館業に戻った。その後石山三四郎にこけしの描彩を教えている。この頃、佐藤政雄は木地を廃業したので、山寺宝珠山立石寺境内… 続きを読む