高梨小藤治

明治38年4月24日、宮城県刈田郡八宮村7番地の木地業高梨栄五郎、かめの二男に生まれた。母かめは同村熱海與平治の二女である。栄五郎には先妻とりとの間に長男永がいたが、13歳の時に村にやって来た祭文語りに憧れて出奔し、木地… 続きを読む

高梨節子

〔人物〕昭和14年2月11日、宮城県秋保の佐藤の武雄次女に生まれる。佐藤円夫、佐藤武志の姉にあたる。昭和29年より新型こけしの描彩をはじめ、さらに昭和39年から父武雄の指導により、旧型の描彩も始めた。昭和48年頃より節子… 続きを読む

高梨寅五郎

明治11年11月28日、弥治郎の高梨栄三郎、やのの二男として生まれた。戸籍名を栄十郎、通称寅吾、寅五郎と呼ばれていた。高梨栄五郎は長兄。父栄三郎について木地を習得し、しばらく佐藤栄治の職人をしたので、栄治 の指導も受けた… 続きを読む

高野孝作

〔人物〕  明治39年2月10日、宮城県玉造郡鳴子村高野幸八・つるよ(戸籍表記まつよ)の次男に生まる。明治36年生まれの兄幸一は、生後2ヶ月で亡くなったため、孝作が事実上の跡取りであった。 子供のころから父幸八の仕事を見… 続きを読む

高野幸八

〔人物〕  明治2年10月8日、宮城県玉造郡鳴子村の塗師高野幸作・登(と)よの八男に生まれる。父幸作は旅館業高野四郎作の三男、母とよは高橋万右衛門(現鳴子ホテル)の次女。明治21年4月の沢口吾左衛門文書には高野… 続きを読む

高野辰治郎

〔人物〕 明治37年6月26日、宮城県白石長袋に生まれる。大正6年と7年に宮城県の助成金を得て佐藤勘内が鎌先温泉で木地講習会を開催した。高野辰治郎はこのときの弟子の一人である。辰治郎のほかに鎌田文市、佐藤雅雄、高梨小藤治… 続きを読む

高野つるよ

〔人物〕 明治9年9月13日、宮城県玉造郡岩出山町の畑甚吉・リエの長女に生まる。戸籍名「まつよ」、通称「つるよ」という。明治29年2月鳴子高野幸八と結婚。長女たけよ、次女アキ、三女かめを、長男幸一は皆生後間もなく亡くなっ… 続きを読む

高野叔夫

〔人物〕 昭和11年9月19日、鳴子に生まる。父は鳴子の塗師高野一平。昭和27年より及川正夫商店の職人となり、大沼健三郎、佐藤俊雄の指導により木地を修得した。こけしは見取り学問である。〈こけしガイド〉初版で紹介されたが、… 続きを読む

高橋市太郎

〔人物〕 明治42年3月21日、岩手県和賀郡沢内村猿橋第一地割の農業高橋権兵衛、ナミの長男として生まれる。大正11年尋常小学校卒業後、家業の農業を手伝っていたが、昭和元年より湯田の佐藤丑蔵について木地の修業を行… 続きを読む

高橋いと子

〔人物〕大正11年11月6日、宮城県鳴子の高橋覚五郎の娘に生まれた。祖父は高橋覚左衛門で沢ロ吾左衛門文書(明治21年4月)の木地挽ノ部に名前を記載された木地師であった。 昭和30年代末頃から鳴子駅前通りにあった及川正夫商… 続きを読む