丹野勝次

明治25年熊本県出身。青森工業高校卒業後丹野家へ夫婦養子となる(妻女は青森県出身)。大正12年鳴子の木地講習所の講師として秋田県から転任、大沼新兵衛が助手としてついた。その後鳴子の木地講習所が廃止となり仙台の木地講習所に… 続きを読む

丹野倉治

青根の商店主であり、また木地工場を経営した人物。 明治15年ころから遠刈田新地や箱根から木地製品を仕入れ、これを青根温泉の浴客に商っていた。職人を雇い自らの工場で浴客からの需要が高かった木地製品を生産することを思いたち、… 続きを読む

丹野辰彦

明治37年1月2日、軍人丹野辰治の長男として山形市香澄町に生まれた。大正5年小学校を卒業し、山形の小林倉治方に入門、倉治は大正に入って殆どロクロに向かわず、大正7年に没しているので、実際には長男倉吉の指導を受けた。小林栄… 続きを読む

千田美千雄

〔人物〕明治40年5月28日、千田酉蔵(明治7年2月2日生・昭和36年9月25日90歳没)、サヱ(明治18年6月18日生・昭和41年3月20日85歳没)の7人兄弟(男6人、女1人)の三男として山形県上山市鶴脛410(現在… 続きを読む

千葉友一

〔人物〕昭和36年10月22日に宮城県栗原郡栗駒町の農業千葉茂、トヨ子の3人兄弟の末子として生まれた。父の茂は米作も行っていたが、高い利益率のいちごと大根の収穫に力を入れた。友一は栗駒町立栗駒中学校を昭和52年3月に卒業… 続きを読む

中鉢君雄

〔人物〕昭和10年11月27日、鳴子町名生定小室の農業中鉢喜惣右衛門・うめよの三男に生まれる。柴崎丑次郎の息子又吉の嫁さつきの従兄弟に当たる。昭和26年3月川渡中学校を卒業後、直ちに鳴子後藤希三の弟子となり、昭和34年ま… 続きを読む

中鉢新吾

〔人物〕  大正12年1月16日宮城県玉造郡鳴子町焼石亦(中山平)の農業中鉢久七・たきの三男に生まれる。母たきは大沼岩蔵・イナの一人娘(戸籍上は岩蔵の父大沼甚三郎の五女)、また新吾を晋吾で紹介した文献もあるが、新吾(戸籍… 続きを読む

中鉢正

昭和36年11月5日生まれ。宮城県玉造郡鳴子町の岡崎仁治について木地を修業した。平成26年に黒川郡大和町宮床の高齢者施設へ入った。その後の詳細は未調査。

長蔵文書

こけしに関する記載が文書上に現れたものとしては万延元年(1860)の「萬挽物扣帳」(岩松直助文))があり、そこには「小人形、相人形、中人形、大人形、大々人形」としてこけしの寸法が記載されている。 こけしに相当する”名称”… 続きを読む

槻田與左衛門

〔人物〕万延元年11月6日、宮城県宮城郡作並村25番地の農業槻田逸三郎、ひての三男に生まる。長兄に吉三郎、次兄に利三郎がいた。師匠は定かではないが、生家の母屋の片隅にロクロを据えて木地を挽き、こけしや玩具を作っていたとい… 続きを読む