佐藤静助

〔人物〕明治34年9月15日、佐藤周吾・イシの長男として宮城県柴田郡川崎村青根温泉に生まる。朝倉家へ養子に行った英次は静助の次弟にあたる。大正3年より父周吾につき木地挽を始め、盆、鉢、こけし、玩具類等を作った。大正6年こ… 続きを読む

小野寺常松

明治26年4月5日、秋田県雄勝郡三梨字清水川の小野寺小三郎長男に生まれた。小椋啓太郎の描彩者小野寺岩蔵とは血縁である。職業は塗師。若いころに鳴子へ修業に行き、そのまま転住した。大正9年に東京都南葛飾郡へ移り、半年後再び鳴… 続きを読む

高橋賢三

〔人物〕 昭和14年12月11日、東京都本郷の柾木政之助、トモの七人兄弟の四男に生まれた。柾木家は代々京都府に住んだが、父政之助の代に東京本郷で食品製造業として独立した。江戸時代後期から大正時代までは姓は柾の一文字であっ… 続きを読む

大沼けさの

〔人物〕 嘉永4年6月28日、宮城県玉造郡大口村(川渡鍛冶谷沢)高橋丹治の二女に生まれる。高橋勘治は9歳下の弟にあたる。鳴子の木地師大沼利右衛門と結婚した。利右衛門は大沼又五郎について木地を学んだ人、こけしも製作した。利… 続きを読む

渡辺キン

〔人物〕  明治14年10月10日、福島県安積郡郡山町大町一七の塩問屋 足利屋 斎藤定吉・しんの長女に生まる。  温泉旅館中村屋の主人阿部與右衛門の取り持ちで、明治36年7月7日飯坂町字湯沢 鯖湖湯近くの中田角… 続きを読む

川越祥行

〔人物〕昭和17年6月29日、青森県弘前市和徳町の木地業川越謙作四男として生まれた。一家は昭和19年ころ弘前市平岡町に移転した。昭和34年7月に父謙作が急性肺炎で急逝した。そのため同年10月より弘前の大瀬徳一の援助で室越… 続きを読む

渋谷安治

〔人物〕昭和15年4月16日生。昭和31年より宮城県鳴子温泉の及川正夫商店の職人となり、佐藤俊雄の指導により木地を修得した。こけし作りは見取り学問である。昭和33年11月発行の〈こけしガイド〉の初版で写真紹介された。昭和… 続きを読む

こけし応用品

こけし応用品は、こけしの形態を応用して製作された品で、こけし蒐集時代の初期から今日まで種々の目的を持って各種作られてきた。 昭和22年12月、川口貫一郎は、「こけし応用雑器の栞」を上梓して、75種のこけし応用品を紹介した… 続きを読む

舟生門蔵

明治31年(推定)山形県最上郡真室川町及位に生まれた。家は農業。明治45年より大正8年頃まで及位駅前の佐藤文六の弟子となり木地を修業した。そして文六が佐藤盛昭から引き継いだ及位木工場で働いた。 大正8年ごろの及位駅前佐藤… 続きを読む

輪入り

① 輪入りとは胴の部分に輪状の突起部分が入るこけしをいう。やみよ状の動く輪の付いたこけしとは異なる。こけし図版を最初に掲載した文献〈うなゐの友〉シリーズの第貮編(明治35年12月発刊)に掲載された一ノ関のこけしがオリジナ… 続きを読む