伊藤松一

伊藤松一(いとうしょういち:1924~)

系統:鳴子系

師匠:伊藤松三郎

弟子:伊藤宏美

〔人物〕 大正13年2日13日、鳴子伊藤松三郎・よねの長男に生まる。昭和16年日立の鉱山学校に在学中、妹が亡くなったのでに鳴子へ呼び帰された。妹は父松三郎の綱とりをしていた。

娘に綱を取らせて木地を挽く松三郎

戦争中は鳴子で飛行機の監視員をした。この間に父松三郎より木地挽きの技術を習得した。終戦後、松三郎とともに沼井の開墾に従事、そのかたわら昭和22年ごろよりこけしも作り姶めた。写真による紹介は美術出版社〈こけし〉が最初である。一時、プロパン業も兼業したが、まもなくやめてこけしに専心するようになった。〈こけし手帖・64〉で新進工人として紹介された。昭和58年頃子息の伊藤宏美が木地を学んでこけし製作を始めたが、程なく転業して今は作っていない。
沼井開墾の苦労話や、狸寝入りの語源として狸を脅すと気絶する習性など、話を聞いていると楽しかった。
平成15年ころ、老齢になったので沼井の家をたたんで夫婦で仙台の養護施設に移った。このころからこけしの製作は行っていない。

  
伊藤松一

〔作品〕 父松三郎よりの伝承で素朴な作風。昭和39年ごろから多く作った地蔵型は、清新な印象を与えた。変化は激しくないが、年々近代的になる傾向があった。松三郎のこけしと比較するとやや線が細く、繊細である。平成に入ると筆致はかえって素直になり。白い木肌にあどけない表情の慈味掬すべき作品が作られるようになった。
  


〔 右より 12.2cm(昭和45年)、12.2cm(平成8年)(橋本正明)〕


〔 24.8cm(昭和55年頃)(高井佐寿)〕

〔伝統〕 鳴子系金太郎系列

〔参考〕