井上四郎

井上四郎(いのうえしろう:1931~1981)

系統:弥治郎系

師匠:井上義治/佐藤春二

弟子:井上はる美

〔人物〕昭和6年2月14日、福島県喜多方市関柴町字石の堂の小林民衛、セン四男に生まれた。関柴小学校高等科を卒業後、野沢こけしの製作者井上義治の長女ゆき子と結婚し、婿養子となった。結婚後、喜多方市大道田において新型こけしの製作を行った。昭和40年頃会津若松市の山彦商店小林珠江の注文により佐藤喜一型を小数試作したが、こけし関係者から非難が起きて山彦商店での製作を中止した。昭和43年9月に、鹿間時夫の依頼により飯坂の佐藤栄治型を復元した。栄治型は昭和44年こけし夢名会で頒布された。この時は四郎自身は描彩はせず、四郎の木地に妻ゆき子が描彩した。昭和45年から熱塩の佐藤春二の指導を受けた。その後春二型も挽き、描彩も行うようになった。
昭和55年秋に鳴子で開催された全国こけし祭に実演工人として参加したが、翌昭和56年1月9日心筋梗塞のため急逝した。行年51歳であった。


井上四郎


井上四郎 昭和55年全国こけし祭会場(鳴子)


井上ゆき子・四郎

〔作品〕下掲はこけし夢名会で頒布された飯坂佐藤栄治型。鹿間時夫蔵の栄治が見本となった。


〔28.5cm(昭和43年12月)(橋本正明)〕 夢名会頒布 

右図の〈夢名会だより・第6号〉は昭和44年2月発行で「新工人井上四郎夫妻合作の佐藤栄治型。(中略)喜多方市に赴き、井上夫妻に会い、木地挽から描彩まで傍らにつききりで試作させてみた。女性らしい優しさが出て、栄治の剛直な一面は再現できないにしても、鹿間栄治のような優しさは出たので一応成功とみなした次第である。(中略)素直で誠実な井上夫妻の栄治型がこの単発で終わらずこけし界に暖かくむかえられるのを望む。」と鹿間時夫は書いている。

昭和45年からは、熱塩の佐藤春二の指導を受けたが、以後は春二の型が中心となり、木地、描彩四郎の春二様式のこけしが作られた。


〔右より 24.5cm(昭和54年)、26.3cm(昭和55年)(高井佐寿)〕


〔36.4cm(昭和55年)(高井佐寿)〕

〔伝統〕弥治郎系幸太系列

 

〔参考〕

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