氏家亥一

氏家亥一(うじいえいいち:1911~1947)

系統:土湯系

師匠:岩本善吉

弟子:

〔人物〕明治44年1月18日、福島県伊達郡睦合村大字平沢字上城に生まる。氏家福平、チャウの六男。父福平が大正9年中ノ沢に移住して旅館平澤屋を経営した。甚助、リヱ、利雄、義雄、辰雄、長四郎は兄姉、弟に鶴雄がいる。
小学校卒業後、大正14年の中ノ沢木地講習会で、佐藤豊治につき木地を修業、講習会の終わった後も昭和6年21歳まで岩本善吉についた。岩本芳蔵は弟弟子である。身体が弱いので木地を中止、平澤屋の番頭をした。昭和23年4月13日没。行年37歳。妻トミとの聞に一子美智子がある。 

〔作品〕氏家亥一の名は昭和10年〈木形子談叢〉で紹介されている。この作を鹿間時夫は「繊細な傑作」と評価した。


〈 木形子談叢〉に氏家亥一として掲載された図版

下掲が〈 木形子談叢〉掲載の大寸のこけしである。


〔33.9cm(昭和5年頃)(国府田恵一)〕 橘文策旧蔵

〈木形子談叢〉解説では、作者は平澤屋旅館内氏家亥一で、木地はあまり熱心でないとし、〈こけしと作者〉では少々作ると書いた。〈こけしと作者〉の尺一寸はやや下方から撮影しているので〈 木形子談叢〉と雰囲気が異なって見えるがやはり上掲のもので、同一のものである。鹿間時夫は「三日月目の快作」と評した。
しかしこけしの比較検討の結果いわゆる氏家亥一型は善吉作ということで落ち着いた。氏家は善吉の弟子として木地を挽いたけれど、こけしを描かなかったというのが真実のようである。あるいは氏家の名儀のこけしを挽き、描彩を善吉がしたかもしれない。
テルヤが氏家亥一に注文して、送られてきたものは、芳蔵木地に本多信夫や芳蔵が描いた全く別物であった。下掲も同様で右2本には「平澤屋」のゴム印が胴底にあり、氏家亥一に注文して送られたもの、作品としては面白いが、芳蔵などが代作したものであろう。


〔右より 18.8cm(昭和13年頃)(箕輪新一)、24.3cm 名和好子旧蔵、21.2cm(昭和13年頃)(西田記念館)〕 氏家亥一名義

戦後になって善吉描彩の氏家亥一の様式に関心を持つ愛好家が多くなり、こけし夢名会では柿崎文雄の復元作が頒布され、また荒川洋一による氏家亥一型も作られた。
 

〔伝統〕土湯系中ノ沢亜系

〔参考〕

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