大沼純

大沼純(おおぬまじゅん:1924~1992)

系統:鳴子系

師匠:大沼新兵衛

弟子:大沼覺/山口吉夫/小沢孝雄/伊藤豊

〔人物〕大正13年7月12日、鳴子塗師大沼与三郎・峰子の次男に生まれる。沢口吾左衛門文書塗師ノ部に記録のある大沼栄三郎には息子が三人居り、長男栄太郎、次男栄次郎で三男が純の父与三郎であった。父与三郎は昭和5年に亡くなった。純は鳴子小学校を卒業後、国鉄に10年間勤務した。退職後、鳴子駅前に「おみやげの店大沼」を開業した。昭和23年ころよりこけしに興味を持ち、大沼新兵衛などに指導をうけながら、ほぼ見取りで木地を習得した。「新兵衛は時々様子を見に来て指導してくれた」と語っていた。こけしは昭和27年ころ最も盛んに作った。大丸デパートの実演などにも出かけた。〈こけしガイド〉で工人として紹介された。弟子には、山口吉夫、小沢孝雄、伊藤豊の三人がいる。昭和39年ころから土産店経営に忙しく、こけしの製作を中止していたが、昭和47年頃より製作を再開した。昭和50年より長男の覺(さとる)に木地を教えた。また、加藤信一や義弟金田一政一にこけし製作の指導をした。
平成4年8月1日没、行年69歳。

左:小沢孝雄 右:大沼純 昭和37年 撮影:露木昶

〔作品〕大沼新兵衛の指導は受けているが、こけしは新兵衛の型を正確に継承しているわけではなく、鳴子の標準的な型を温泉の土産物として製作した。「おみやげの店大沼」は鳴子駅の広場から駅前通りに出た角にあり(現在は喫茶店「コーヒーハウス純」併設)、立地は良い場所だった。
下掲の作は胴模様に師匠新兵衛の 雰囲気が幾分感じられる。


〔 27.3cm(昭和54年)(高井佐寿)〕

〔伝統〕鳴子系共通型

〔参考〕

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