岡崎幾雄

岡崎幾雄(おかざきいくお:1935~)

系統:蔵王高湯系

師匠:岡崎直志

弟子:田中恵治

〔人物〕 昭和10年2月23日、蔵王高湯の能登屋岡崎嘉平治・まさの長男に生まれる。
祖父栄作は中風で倒れ、父嘉平治は戦地より病を得て帰国したまま昭和23年に没したので、祖父・父より木地の指導を受けることができず、父嘉平治の従兄弟に当たる小野川の岡崎直志について昭和24年15歳より木地の修行を行った。修業当初よりこけしも作り、小野川より高湯へ小包で送ったこけしを見て、祖父栄作は泣いて喜んだという。昭和25年祖父栄作の没後は、土産物店能登屋を継いで経営にあたっている。経営のかたわら、昭和29年ころより、こけしの製作を始め、店に並べた。美術出版社の〈こけし〉で工人として紹介された。昭和31年より仙台屋で所蔵されていた有名な岡崎栄治郎のこけしを復元し、復元の初期の成功例として評価されている。昭和37年ころより能登屋の経営に追われ、製作数は少なく、入手困難のこけしの一つとなった。昭和40年ころには収集家の要請にこたえて、山形市の梅木修一木地に描彩したことがある。昭和41年10月25日工場が火災で全焼してからは、しばらくの期間、製作出来ない状態が続いた。それでも収集家の要請に応えて梅木修一や職人の木地に描彩を行なった。
昭和55年米沢で修業した田中恵治が、能登屋の職人となったので仕事場も再興でき、こけしの製作も行えるようになった。
80歳台に入っても筆力の衰えは見せず、平成30年には白石のコンクールで大臣賞を受賞したり、東京で実演を行なったりしている。
工人数が減少していく山形県のこけし界において、依然牽引者としての役割を担っている。山形県こけし会会長も務める。

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岡崎幾雄


岡崎幾雄 平成29年9月 (全国こけし祭り懇親会場)

〔作品〕 正式に岡崎幾雄として能登屋の店に並べられたのは昭和29年からであるが、修業時代あるいは試作と思われる作品が残っている。右端は小野川で作り始めた幾雄のこけしを見て祖父栄作が涙を流して喜んだといわれる頃の、ごく初期の作品と思われる。
また左の8寸3分は昭和28年作と言われており、この時期には既に、ほぼ栄作の作風をマスターしていたことがわかる。若々しくまた気品も感じさせる作であり、「時分の花」と言うべき無為の良品である。


〔右より 15.2cm(昭和24年ころ)、25.1cm(昭和28年)(田村弘一)〕 右端はほぼ初作

昭和29年の作が〈美と系譜〉に、昭和30年の作が美術出版社〈こけし〉に紹介されている。初作にに続く時期のこけしも、祖父栄作の直胴を基本としたこけしであったが、素直で作為の少ない佳品であった。
昭和31年より仙台屋の岡崎栄治郎を復元した栄治郎型は、原型の持味を見事に再現しており、またその量感あふれる形態、絢爛たる描彩は多くの愛好家を魅了した。〈美と系譜〉〈こけしガイド〉に復元初期作の作例がある。
昭和20年代から30年代前半の三大復元は、昭和27年の高橋盛による勘治型、昭和31年の幾雄による栄治郎型、同じく31年の岩本芳蔵による善吉型であり、これらの成功が新型の影響で沈潜していた戦後の伝統こけし界に再び活力を吹き込むきっかけとなった。


〔右より 30.6cm(昭和30年頃)栄作を基本とした本人型、31.8cm(平成8年)栄治郎型(高井佐寿)〕

系統〕蔵王高湯系能登屋

〔参考〕

蔵王温泉能登屋本店
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