岡崎嘉平治

岡崎嘉平治(おかざきかへいじ:1910~1948)

系統:蔵王高湯系

師匠:岡崎栄作

弟子:

〔人物〕能登屋は蔵王高湯の旧家で、当主は代々嘉平治を名乗っていた。岡崎久作、栄治郎兄弟の父も幼名栄吉であったが、家督相続後戸籍を嘉平治に改名した。蔵王高湯の辻屋旅館・竜甘堂は嘉平治家の分家であるという。
こけし作者として知られる岡崎嘉平治は明治43年1月3日、岡崎栄作・まつ(戸籍表記ま川)の長男に生まれる。母まつは高湯の斎藤忠治の長女であり、斎藤源吉の妹に当たる。
父栄作について木地を修業し、こけし・茶道具など土産品を挽いた。昭和10年妻まさとの間に幾雄が生まれた。
〈東北の玩具〉によりこけし作者として名前は紹介されたが、作品の写真は〈こけしと作者〉が初出である。昭和12年頃から第一次こけしブームの昭和15年を中心に盛んにこけしを作った。
昭和16年9月に応召、ビルマ戦線で病を得て帰国後、昭和23年2月16日蔵王高湯にて没した、行年39歳。

岡崎嘉平治  撮影 水谷泰永
岡崎嘉平治  撮影 水谷泰永

〔作品〕製作期間は昭和12年頃から昭和16年出征までの5年未満である。父栄作の型を継承した。下掲写真のように初期のものは栄作の作風を忠実に継承している。


〔右より 22.1cm (昭和12年頃)(植木昭夫)、25.1cm(昭和12年頃)(北村育夫)〕

製作期間は短く、その間の変化は少ないが、昭和15年ころは目の湾曲がやや大きくなる。また胴のくびれたものなど変形の作品も作った。


〔右より 18.8cm(昭和15年頃)(北村育夫)、13.6cm(昭和15年頃)(田村弘一)〕

下掲6寸8分は深沢コレクション収蔵の嘉平治であるが、おかっぱの中央に分け目があり、また胴は赤のみの重ね菊を描いていて緑屋風の様式である。従兄弟でほぼ同年代の斎藤源七と互いにその様式を学びあっていたかもしれない。。


〔 20.6cm(昭和15年)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

能登屋の嘉平治、緑屋の源七ともに終戦後まもなく39歳で亡くなったのは、蔵王高湯にとって大きな痛手であった。

系統〕蔵王高湯系能登屋

〔参考〕

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