岡崎久太郎

岡崎久太郎(おかざききゅうたろう:1888~1951)

系統:蔵王高湯系

師匠:岡崎栄治郎/岡崎栄作/荒井金七

弟子:岡崎直志

〔人物〕    明治21年8月20日、山形県羽前国南村山郡高湯村(現在の蔵王温泉)の能登屋岡崎久作、ひでの二男に生まれる。長兄は能登屋を継いだ岡崎栄作である。家業が木地屋で職人も多く、木地は特定の師匠につかず習得した。最もよく指導を与えたのは荒井金七だという。大正2年26歳のとき、小野川温泉に移り、岡崎土産店を開業した。ちょうど同しころ、弥治郎の蔦作蔵も小野川にきて、二軒で競って木地業を行なったという。
岡崎の工場には職人の出入りも多く、及位の佐藤甚吉佐藤文吉の父)も大正7年ころ久太郎のもとで働いていたという。
大正6年7月高湯の緑屋斎藤忠治二女つめと結婚した。つめは斎藤源吉の妹で、姉まつは久太郎の兄栄作に嫁いでいる。久太郎・つめの間にはきく、喜代美の二女あり、きくに直志を婿養子として家業を継がせた。直志は昭和15年7月より久太郎について木地の修行を始めた。
久太郎は小野川でこけしを盛んに作り、〈こけし這子の話〉で既に作者として紹介されている。こけしの製作は戦争が激しくなる昭和18年ころまで間断なく続けられたが、戦後はほとんど作っていない。昭和26年2月18日小野川にて没す、行年64歳。

岡崎久太郎  撮影 水谷泰永
岡崎久太郎  撮影 水谷泰永

〔作品〕  製作に変化は少なく、兄栄作と同様堅実な作風で知られる。
下掲の写真は〈こけし這子の話〉図版に紹介されたものの一本、大正末期の作であろう。初期の作品は、胴に比べて頭が大きく、面描も大味で、たくましい。〈こけし這子の話〉には、さらに手絡の中寸と、作り付け小寸二本の計四本の久太郎が掲載されている。

〔22.7cm(大正末期)(高橋五郎)〕 天江富弥旧蔵 〈こけし這子の話〉掲載のもの
〔22.7cm(大正末期)(高橋五郎)〕 天江富弥旧蔵
〈こけし這子の話〉掲載のもの

〈こけしと作者〉〈こけしの美〉〈こけし事典〉の図版などは、〈こけし這子の話〉に続く久太郎の初期の作例で、昭和10年以前と思われる。オカッパが大部分であり、オカッパの髪の前が割れているのが初期の特徴である。〈こけし這子の話〉の手絡模様は初期のものとしては珍しい。眼は上瞼が彎曲しており、兄栄作より叔父栄治郎の作風の影響が残ったと思われる。〈古計志加々美〉、〈美術出版社版 こけし〉に昭和12 年より16年ころの作例がある。胴がやや細目になり、中ほどでくびれさせたものもある。表情は初期のものに比べ、幾分垢抜けた分だけおとなしくなっている。胴模様は重ね菊が大部分であるが、〈古計志加々美〉図版のように、秋山慶一郎式の花模様を描いた変わり型もある。下掲の右端の胴模様も珍しい。

〔右より 25.0cm(昭和15年頃)(青柳英介)、37.5cm(昭和16年)(植木昭夫)54歳に記入あり、25.8cm(昭和初期)(植木昭夫) 三五屋)
〔右より 25.0cm(昭和15年頃)(青柳英介)、37.5cm(昭和16年)(植木昭夫)54歳に記入あり、25.8cm(昭和初期)(植木昭夫) 三五屋〕

久太郎の重ね菊の胴模様は、上掲右2本のように菊花の中央が縦に入る描き方と、下掲の4本のように中央を横に入れる描き方がある。

下に掲げた二つの写真は昭和10年から15年頃の作例である。

〔右より 13.9cm(昭和10年頃)(河野武寛)痴護之舎旧蔵、24.8cm、16.5cm(昭和14年頃)(鈴木康郎)、19.0cm(昭和14年頃)(北村育夫)〕
〔右より 13.9cm(昭和10年頃)(河野武寛)痴護之舎旧蔵、24.8cm、16.5cm(昭和14年頃)(鈴木康郎)、19.0cm(昭和14年頃)(北村育夫)

手絡の久太郎の頭頂部
手絡の久太郎の頭頂部

手絡の頭頂には黒髪を描く。これは蔵王高湯の岡崎栄治郎のこけしにも見られる。
小沢康夫蔵の栄治郎は、蛇の目のようにロクロで黒を入れた周辺に手描きで髪の墨を加えている。あるいは土湯から来た阿部常松の影響を受けたものかも知れない。久太郎の頭頂黒髪にはその古い手法の名残が見られる。

〔右より 18.8cm、10.6cm、18.6cm、7.3cm(昭和15年頃)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

〔右より 18.8cm、10.6cm、18.6cm、7.3cm(昭和15年夏)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

深沢要の白布高湯、小野川訪問は昭和15年夏であるから、丁度岡崎直志が木地の修行を始めた頃である。深沢コレクションの上掲右から三本目の久太郎は直志ではないかと言われたが、それぞれの重ね菊の頂上が横に寝るのは久太郎であり、直志は戦後の復元作以外はほとんど縦に描くので、これは久太郎とみなされた。 ただし、面描については依然直志説がある。

一般に文献における久太郎の取扱いは、兄栄作に比べて地味であるが、特に初期の重量感あふれる豊麗な作風は蔵王高湯系の本格型であり、栄治郎由来の古い様式を多く残している。

系統〕 蔵王高湯系能登屋 後継者岡崎直志によって昭和42年に岡崎久太郎型の復元が行われた。また直志の長男岡崎昭一によって昭和54年に久太郎型が作られた。

〔参考〕

深沢コレクションの岡崎直志の初作にちかいこけし。久太郎に良く似るが、各段の重ね菊の頂上は縦に描かれており、また花弁も細く稚拙味が残るので直志の作に間違いないであろう。
〔18.2cm(昭和15年7月)(日本こけし館)〕 深沢コレクション
〔18.2cm(昭和15年7月)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

[`evernote` not found]