小笠原信子

小笠原信子(おがさわらのぶこ:1935~)

系統:遠刈田系

師匠:小笠原義雄

弟子:

〔人物〕 昭和10年6月20日農業西條登一郎四女に生まれる。小笠原義雄と結婚して、昭和45年頃よりこけしの製作を始める。もっとも大量に製作したのは、昭和60年気仙沼市唐桑中学校の旧校舎が解体されたときにPTAの依頼で、旧校舎の廃材である赤松を利用した3,200本の記念こけし製作を依頼されたときであった。この大量のこけしの製作には小笠原義雄が木地を挽き、信子が専ら描彩を行ったという。毎夜11時ころまでの描彩作業が続いたと語っていた。この廃材利用のこけしは大層話題になり、その後平成4年南三陸町歌津中学校の1,800本、同じ平成4年利府町利府小学校の1,000本、山元町山下中学校600本と続けて注文を受けたという。木地を挽いた義雄は「乾ききった赤松の廃材はパサパサで鉋が切れないと挽けないので、刃物をよく研ぎながらの仕事だった。松脂も出るので木取りをした後、煮沸してまた乾かしてから挽いた。」と語っていた。こうした廃材からのこけしは殆どが信子の描彩であった。
平成25年に身体を壊してからはあまりこけしを作っていない。

〔作品〕 小笠原義雄の様式を継承している。几帳面で破綻のない描彩のこけしを作る。

〔30.3cm(平成25年)(小笠原信子)〕
〔30.3cm(平成25年)(小笠原信子)〕

系統〕 遠刈田系周治郎系列。

[`evernote` not found]