小川文男

小川文男(おがわふみお:1950~)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤哲郎/佐藤雅弘

弟子:

〔人物〕 昭和25年5月5日、宮城県亘理郡亘理町逢隈神宮寺の農業小川隆の二男に生まれる。亘理中学校卒業後、株式会社東京重機工業仙台支店に就職した。営業職時代の顧客の中に、こけし工人小室由一がいた。小室由一と交流を持ち、影響を受けるうちにこけし工人を志すようになり、昭和48年頃から会社勤務の傍ら木地の修業を始めた。4年ほどの修業ののち、自家にロクロを設置し、昭和53年12月よりこけしの製作を始めた。ロクロは早坂晃の紹介で菅野鉄工所から購入した。この頃、会社は株式会社日本自動車交通に移った。昭和56年10月より仙台の弥治郎系工人佐藤雅弘の工場で木地の修業を続け、さらに同年11月からはこけし製作に関して遠刈田の佐藤哲郎の指導を受けるようになった。その後、故郷に近い岩沼竹の里に戻り独立した。
師匠の佐藤雅弘は家族がいないので晩年は一人で暮らしていたが、小川文男は雅弘が亡くなるまでその面倒を見ていた。会社は55歳まで日本自動車交通に勤め、さらに有限会社増田タクシーに70歳まで務めた。

小川文男

〔作品〕初期の作品は小室由一の作風に似て、面描に張りがあり、緊張感のある表情のこけしを作った。

〔24.6cm(昭和55年10月)(橋本正明)〕
〔24.6cm(昭和55年10月)(橋本正明)〕

佐藤哲郎から薫陶を受けるようになると、表情は甘美に流れず、剛直で端正、吉郎平系列の持ち味を出したこけしを製作した。


〔右より 24.0cm(昭和57年9月)、21.0㎝(昭和58年)、24.0㎝(昭和59年1月)、24.5㎝(昭和63年11月)、18.0㎝(平成18年6月)、24.5㎝(令和3年10月)(矢田正生)〕


〔24.0cm(昭和61年)(高井佐寿)〕

系統〕遠刈田系吉郎平系列

〔参考〕

  • 矢田正生:佐藤(小室)由一と小川文男〈木でこ・241〉(令和4年3月)
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