小椋宇三男

小椋宇三男(おぐらうざお:1946~2003)

系統:木地山系

師匠:小椋孝一/小椋久太郎

弟子:加藤高之/落合芝池/藤田秀保/中川牧風/小椋芳信

〔人物〕  昭和11年12月24日、小椋多平・まつの長男として、滋賀県永源寺町で生まれる。女6人、男2人の8人兄弟であった。家業である木材チップ工場を経営していたが、日本の木地師発祥の地である永源寺で木工業を復活させるために、昭和57年47才の時、岐阜県坂下町の小椋孝一(国の重要無形文化財・人間国宝)に師事した。厳しい指導を受けた後、昭和60年に独立を許された。明治期に廃絶した小椋谷の木地師を育成するために、昭和60年から木工轆轤教室を開設し、地元滋賀県や三重県、京都府、大阪府から参加した30人近い弟子達に指導を行った。
 平成9年4月に宇三男は、日本木地師学会の楯英雄会長とともに、秋田県皆瀬村に小椋久太郎を訪ね、木地山こけしを永源寺で作る許可を得た。宇三男から直接聞いた話によると、「梅鉢も製作許可を得たが、あるこけし会幹部よりクレームが付いたので自粛した」との事であった。また永源寺以外ではこけしは、販売しないと云う約束もしたとの事だった。
 平成10年11月に宇三男は、自分が経営している永源寺八風キャンプ場に水車轆轤を復元した。
 平成11年6月1日から6日まで、「木地山系永源寺こけし発表会」が八日市市本町の町角情報館で行われたが、この時がこけし工人としての正式デビューとなった。平成12年4月23日に宇三男が率いた木工轆轤教室のメンバーと伊勢こけし会の会員とによる座談会が開催され、また山本吉美、高井佐寿の出品による多数の木地山系こけしの展示が行われた。尚この座談会には伊勢こけし会の佐脇良一会長、大阪こけし教室の森田丈三世話人代表も参加していた。座談会の後、水車轆轤の音が響くキャンプ場で、鹿肉・猪肉の焼肉パーティーも催された。
 平成13年の後半より体調を崩し、また同14年からは肝臓の病も得て、入院加療を続けていたが、平成15年1月19日に没した、行年68才。
木地師としての後継者に「永源寺木地師の会」会長の加藤高之の他、落合芝池、藤田秀保、中川牧風、小椋芳信(宇三男長男)等多数いるが、こけしは誰も伝承していない。
なお、宇三男を木地山系の伝統こけし作者として認知するかについては一部に否定的な意見もあった。

小椋宇三男 平成11年6月

小椋宇三男 平成11年6月

〔作品〕 平成11年6月から平成14年10月頃までとこけしの製作期間は短く、どこにも卸さず永源寺だけでの販売だったので市場には余り出ていない。初期の永源寺こけしは小椋宇三男木地に宇三男と中川牧風の描彩が多く、その後は加藤高之木地に牧風の描彩が多いと聞く。
 伊勢こけし会だよりに川本慧、伊藤勲、中根巖のレポートが度々掲載された。

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〔右より、14.7cm(平成11年12月)、20.3cm、19.5cm(平成10年頃)、22.7cm、27.2cm(平成14年10月)、19.7cm、19.8cm(平成11年6月)、20.2cm(平成14年4月)お茶模様(中根巌)〕

系統〕 木地山系

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