小椋石蔵

小椋石蔵(おぐらいしぞう:1883~1962)

系統:木地山系

師匠:小椋久四郎/小椋徳右衛門

弟子:

〔人物〕 明治16年10月15日、秋田県雄勝郡川向皆瀬木地山の小椋徳右衛門、マサの 五男に生まる。父徳右衛門、兄久四郎(四男)について木地を習得、こけしも製作した。明治39年、日露戦争が終わって除隊帰郷後、泥湯に分家した兄米蔵(三男)のもとで木地業に従事した。このころ姉カネ(長女)の夫小野寺梅太郎(幼名梅太郎、明治26年 藤美に改名)に描彩の教示を受けたといわれる。
 高松村佐藤岩松長女ヨヌと結婚、川向で分家した。大正元年30歳のとき、木地山を下って北海道へ渡り、北見国浜頓別で開業した。昭和元年小樽市汐見台町8に移り、継続して木地業に従事した。

〈木形子異報・9〉 (昭和11年3月)

昭和10年石井眞之助に発見されて、〈木形子異報・9〉で紹介された。それ以後、こけしの製作を再開し、戦前、戦後を通して注文によりこけし製作を続けたが、昭和26年に中風で右半身不随となって以後、製作を中止した。その後、小樽市新富町47に転居した。
昭和30年、戦後の収集界の活動が再び活発になると、島みつる氏の訪問を受け、勧められて木工所の弟子の木地に描彩を復活した。木地を挽いた弟子の名は不明。
昭和37年9月17日小樽市新富町の自宅にて没した、行年80歳。
息子たちはそれぞれ運転手、日雇い等に従事し、木地の後を継ぐものは居ない。

小椋石蔵 昭和30年9月 島みつる撮影

〔作品〕 現在作品が確認されているのは、昭和10年の復活から18年頃までの戦前作と昭和30年以降の戦後作のみである。
石井眞之助依頼による復活第一回作は〈木形子異報・9〉〈こけし手帖・69〉で紹介された。

〈木形子異報・9〉で石井眞之助が紹介した新工人たち

〈こけし辞典〉ではこの時の作を、〈木形子異報・9〉の発行年月日(昭和11年3月)から昭和11年作としているが、巻末後記に「巻頭石井眞之助氏の原稿は昨夏戴いていたもの」とあるので掲載写真のこけしは少なくとも昭和10年夏以前の作である。石井眞之助は石蔵こけし入手の経緯を次のように書いている。「こけし娘の事を、石蔵さんは木化子人形と呼んでいます。こけし娘の製作は20年間全く中絶していて、今度が初めてだそうです。上等の毛筆を二本送って欲しいと言ってよこしました、十回ばかり手紙の往復をやりましたが、いつも非常に長い返事をくれます。愉快なおじいさんです。〈木形子異報・9〉」
 石井眞之助が趣味でこけしを集めていることを石蔵は理解できず、「貴殿の工場は何馬力にや」「売行は良好にや」「少なくとも50本以上注文あれ」といった手紙を度々送ったようで、石井眞之助はその対応に困ったとも書いている(思い出のこけし〈こけし手帖・第69号〉)。

昭和15年5月、小倉家具製造工場というところで働いていた小椋石蔵を京都の朏健之助が訪ねている。この時、朏健之助に対して「姉(カネ)の夫梅太郎は絵が上手だったので、若い時に彼から一生懸命に絵を習ったこと、兄の久四郎は昔一筆で眼を描いていたのを眼玉入りに描かせたのは自分である」等、盛んに話していたようである(北海道こけし作者を訪ねる(昭和15年)〈こけし手帖・第205号〉)。
下掲写真は石井眞之助旧蔵で昭和10年の復活初作、後年のものと比べて頭部や胴の形態・バランス、そして面描が木地山本体のものに近く、おそらくこれが石蔵の本来の姿であろう。
 眼の描法や胴の着物模様は、義兄小野寺梅太郎の考案かも知れない。朏健之助への石蔵の言が正しいなら、石蔵が梅太郎から習ったこの面描が、逆に久四郎の面描の原点であったのかも知れない。
 

〔 21.7cm(昭和10年)(橋本正明)〕 石井眞之助旧蔵

下掲写真のような変わった型の小寸や、頭小さく、胴の頗る太い徳利のような型のこけしも作った。伝統の型に縛られない、創意に富む面白さもあった。


〔右より 5.4cm 昭和12年3月購入の記入有、5.3cm(昭和12年ころ)(鈴木康郎)〕

昭和10年以降も継続してこけしを製作したが、昭和10年作に比べると頭は丸みを帯び、胴の肩は高く張る様になる。


〔右より 24.4cm 米浪庄弌旧蔵品、17.7cm(昭和14年ころ)(鈴木康郎)〕

笹の葉のような模様を描くもの、また着物に団扇を持たせたものなどその意匠は自由奔放であった。


〔右より 30.9cm、26.1cm(昭和14年)(高橋五郎)〕

戦後島みつるの訪問以後製作再開したこけしは、木工所の職人木地に描彩のみ行なった。不自由な手での描彩であったが、胴の着物模様は以前の精緻な描法を維持していた。


〔右より 21.2cm(昭和33年ころ)、26.7cm(昭和30年)(高井佐寿)〕

〔伝統〕 木地山系

直接の弟子はいなかったが、石蔵の型は継承するものは多く、阿部平四郎阿部陽子阿部木の実、小椋正吾、柴田良二沼倉孝彦、三春文雄、阿部市五郎等の製作がある。

〔参考〕