小堀邸子

小堀邸子(こぼりていこ:1937~)

系統:津軽系

師匠:佐々木金次郎

弟子:

〔人物〕 小堀邸子、旧姓佐々木邸子は、昭和12年4月18日青森県南津軽群大鰐町大字前田82番地の木地業佐々木金次郎、ツエの六女として生まれる(10人兄弟、男4人女6人)。 昭和33年3月に弘前学院短期大学卒業後、つがる工芸店に勤務し、昭和41年7月に小堀浪男と結婚、小堀姓に変わった。
 〈こけし辞典〉には佐々木邸子として項目があり、昭和23年小学校在学中よりこけしの描彩をしたと記載されている。本人の話では昭和25年中学生の頃から長兄金一郎と次兄清の木地に描き、金次郎名義で出していたという。当時、金一郎は野球のバット、清は茶筒(津軽塗の下地)やづぐりを多く挽いていたらしい。清は仕事が早く大変腕も良く、金次郎自慢の息子であったが、昭和36年に39歳で鉄道事故により亡くなった。
 邸子が描彩を始めた中学生の頃、叔父の長谷川辰雄は大畑に住んでいたので描き方は金次郎に教わった。昭和33年につがる工芸店に勤めるのを期に本格的にこけしの描彩を始め、金次郎、金一郎名義で盛んに市場に出していた。昭和39年には本人名義のこけしも出したが10本前後と数は多くない。
小堀家に嫁いでからは、昭和41年10月に50本程金次郎名義で描いたのを最後にこけしの製作を中断した。その後、平成16年に復活し蒐集界の注文に応じた。平成18年の秋に体調を崩してから筆を置いている。

佐々木邸子 平成17年7月

佐々木邸子 平成17年7月

(作品) 〈こけし辞典〉によると昭和23年小学生の時より描彩を始めたとある。昭和25年中学生の頃から家業を手伝っていたが、昭和33年つがる工芸店に勤めると共に本格的に描き始めたと思われる。こけしの描彩は昭和41年10月まで続き、長く中断した後、平成16年11月復活、同18年10月まで続けた。なお平成17年3月に名古屋こけし会124回頒布、同年6月伊勢こけし会99回頒布として作品が蒐集家の手に渡り、名古屋こけし会の〈木でこ・183号〉(平成17年5月発行)で中根巖より「小堀邸子のこと」として発表された。

〔 右より 15.2cm(昭和39年頃)、24.2cm(平成16年11月)復活初作、24.2cm、24.2cm(平18年6月)、24.2cm寸(平18年10月)、24.2cm、18.2cm(平18年6月)(中根巌)〕
〔 右より 15.2cm(昭和39年頃)、24.2cm(平成16年11月)復活初作、24.2cm、24.2cm(平成18年6月)、24.2cm寸(平成18年10月)、24.2cm、18.2cm(平18年6月)(中根巌)〕

戦後の佐々木金次郎、金一郎名義のこけしには邸子に描彩によるものがかなり含まれている。特に昭和39年以前の戦後の金次郎、金一郎名義のこけしは大部分が邸子の描彩である。

〔伝統〕 津軽系大鰐亜系

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