作田隆

作田隆(さくたたかし:1900~1976)

系統:遠刈田系

師匠:作田栄利

弟子:作田孝一

〔人物〕 明治33年3月24日、商業作田良瑞の次男として遠刈田温泉に生まれる。大正2年尋常小学校を卒業後、酒屋の番頭となったが、大正5年佐藤吉郎平の弟子であった兄栄利が年期明けして木地業を始めたので、隆も栄利について木地を学んだ。栄利とともにこけしや玩具を挽いた。大正8年栄利が入隊したので、まもなく木地から離れて上京した。昭和初期に遠刈田へ帰郷し、以後うどん屋を開業、また労務者としても働いた。昭和10年に長男孝一が誕生した。
戦後昭和22年に栄利とともに木地業を再開した。昭和25年には孝一が木地の修業を始めた。昭和28年に新地に工場を建てて独立し、昭和30年ころから、こけし製作を再開、昭和33年〈こけし手帖・21〉で鹿聞時夫によって紹介された。以後こけしの製作を続けた。
昭和51年10月19日没、行年77歳。
 

左:作田隆 右:作田栄利 昭和33年

左より 作田栄利、作田孝一、作田隆 昭和36年 撮影:露木昶

〔作品〕 弟子時代のこけしは未確認。昭和30年以後のもののみ知られている。復活初期のものを鹿間時夫は「稚拙な素朴さを待ち、往年の佐藤茂吉のような情味を待っている」と評した。その後表情に漸次甘さが加わり、筆致もやや弱くなる傾向があった。初期のころは緑のロクロ線を用いていたが、後年の作は赤のロクロが多い。作り付け小寸物にも佳作がある。
 


〔 24.0cm(昭和35年)(高井佐寿)〕


〔18.4cm(昭和47年)(ひやね)〕

〔伝統〕遠刈田系吉郎平系列

 

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