佐々木久作

佐々木久作(ささききゅうさく:1913~1983)

系統:鳴子系

師匠:高橋盛

弟子:

〔人物〕大正2年5月11日、秋田県由利郡象潟に生まる。本荘市の「三之助もろこし」本舗小林菓子店に丁稚奉公した。この間日中戦争に徴兵となったが帰還して年期明け後、象潟へ帰って佐々木菓子店を開業した。しかし戦争激化につれて砂糖が配給制となり、製菓業の継続が不能となったので、小林菓子店時代兄弟弟子の佐々木末治・皆川元一と相談の結果、昭和17年秋田市の工芸指導所木地挽き部へ入った。ここで横手からきていた子野日幸助とともに高橋盛について木地を習得した。約半年修業した後、末治・元一と三人で本荘の由利木工製作所に移り、盆・茶櫃類を中心に挽き、こけしも作った。昭和20年からは高橋盛も同製作所にきて手伝い、数人の女性に描彩を指導した。昭和23年高橋盛一家が鳴子へ去った後も営業を続けたが、昭和26年由利木工製作所はついに倒産した。久作は象潟へ帰って製菓業を再開し、佐々木菓子店を開業した。
昭和42年橋本正明、加賀谷憲介が遊佐福寿の木地を持って佐々木久作を訪ね、聞書を取ると同時に描彩を依頼した。その報告が〈こけし手帖・83〉に掲載された。その後何人かの蒐集家が久作を訪ね、描彩を依頼した。
昭和58年2月15日没、行年71歳。

佐々木久作 昭和42年3月

描彩する佐々木久作  昭和42年3月

〔作品〕作品は、戦前の由利木工時代のものが一本残っている。長く久作が記念に残していたもので、秋田で習い本荘の由利木工に移って製作したもので昭和18年ころの作と言う。下掲写真の右がそのこけしで、面描および胴の楓模様は、高橋盛の妻きくゑの描法に近い。おそらく秋田時代の高橋きくゑが手本となっていたと思われる。


〔右より 18.2cm(昭和18年ころ)、18.0cm(昭和42年7月)(橋本正明)〕

昭和42年3月には当時の遊佐福寿の木地を持参して描彩を依頼した。下掲のこけしがその時のもの。上掲左端は、上掲右端のこけしをもとに福寿に再度木地を依頼し、昭和42年7月に持参して戦前風の描彩を依頼したもの。


〔18.2cm(昭和43年3月)(橋本正明)〕

その後、何人かの蒐集家が久作を訪ね、描彩を依頼したものが残っている。描彩は次第に手馴れたものになっている。


〔30.6cm(昭和46年)(橋本正明)〕

久作のこけしは秋田時代の高橋盛一家の活動状況や、その弟子たちの様子を具体的に伝える資料として興味深い。

平成26年3月には久作の長男久紀の努力によって、象潟町道の駅「ねむの丘」で久作こけしおよび木地製品の展示会が開催された。

 
平成26年3月2日 秋田魁新報

〔伝統〕鳴子系利右衛門系列

〔参考〕

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