佐藤吉郎平

佐藤吉郎平(さとうきちろうべえ:1877~1946)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤吉五郎

弟子:村上政之助/佐藤春吉/佐藤巳之吉/作田栄利/佐藤吉弥/佐藤倉吉/安子島孫一

〔人物〕 二代目佐藤吉郎平。
初代佐藤吉郎平以後、芳松ー円吉ー友吉ー茂七と続き、茂七の長男に生まれたのが二代目吉郎平である。
二代目佐藤吉郎平は、明治10年11月15日、佐藤茂七の長男として遠刈田新地に生まれた。明治21年より茂七について二人挽きを修業したが、一人挽きが伝わっていたので叔父の佐藤吉五郎からより多く技術を習得した。
修業時代にはこけしを作ったらしいが、弟子を取るようになってからは全然作らなくなったという。明治30年に結婚して独立し、村上政之助が弟子となったが、以後佐藤春吉、妹もじの婿となった佐藤巳之吉、さらに作田栄利、妹さんの婿となった佐藤春吉、安子島孫一等が弟子入りした。
明治42年、仕送り制度によって小室万四郎の翼下に入った。
大正末の不況で木地を止め、以後は山林の管理人を続けたが、昭和21年1月16日に没した。行年70歳。
吉郎平は吉郎平系列の中心人物であり、松之進家(友吉の弟友治から)や茂吉家(友吉の弟文吉から)も初代の吉郎平の家から出ている。


佐藤吉郎平 (明治43年)


〔左より 佐藤巳之吉、佐藤吉郎平、作田栄利、佐藤吉弥〕大正3年頃

〔作品〕明治後半からこけしを作らなくなったので、吉郎平のこけしは確認されていない。

系統〕遠刈田系吉郎平系列

吉郎平のこけしが弟子達に伝承されたか不明。むしろ吉郎平の叔父吉五郎は大正期までこけしを作っていたというから、吉五郎の作風が吉郎平の弟子達に多く伝わったかもしれない。

〔参考〕

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