酒井正進

酒井正進(さかいしょうしん:1899~1976)

系統:土湯系, 独立系

師匠:安藤良弘/岩本芳蔵

弟子:

〔人物〕明治32年2月1日、福島県耶麻郡蚕養字沼尻の酒井竹治、ナツの二男に生まれる。戦前に中ノ沢温泉の湯桶監視役をやっていたが、その後土産物店を経営し、さらにさかい百貨店という雑貸店を開いた。昭和8年12月より、岩本芳蔵木地に描彩したこけしが売られるようになった。
昭和10年〈木形子談叢〉で工人として酒井正進の名前が紹介され、〈こけしと作者〉でこけし写真と作者名酒井正進が紹介されたが、それは岩本芳蔵木地に会津若松工芸試験所の安藤良弘が描いた桔梗模様の物であった。ただし〈こけしと作者〉の本人肖像写真の傍に立っている大寸物(下掲写真)は正進の描彩であった。
昭和13年ころは芳蔵木地に紫の桔梗花を描いたのを盛んに作って店頭に並べていた。戦争中もこの状態は続いたが、木地挽きができないので、作者でないように取り扱われ、本人も商店の多忙にかまけて戦後はそれほど活発には作っていない。
昭和51年5月17日没、行年78歳。

酒井正進 〈こけしと作者〉図版  

〔作品〕 下掲は〈木形子談叢〉で岩本芳蔵として紹介されたこけしであるが、〈こけしと作者〉図版では酒井正進となっている。これは岩本芳蔵木地に安藤良弘が描彩したもので、後の酒井正進のこけしの見本となったものといわれている。


〈木形子談叢〉で紹介された岩本芳蔵、様式は酒井正進型 安藤良弘の描彩

下掲の石井眞之助からの照会に対する正進からの返信。中段から次のような記述がある。
ご書面にてお尋ねの件の木地製造者は右の通り。磯谷茂様の工人は岩本善吉代でありましたが昭和9年6月1日に死亡す その後茂様休業であります 58歳磯谷直行様は昭和8年12月5日死亡す その後商売は箱根方面買い入れ致し販売致して居ります 33歳氏家亥一様は平沢屋と申す旅館の次男にて岩本善吉氏の弟子でありますが我が営業はいたしおりません 此の後の見込みはわからずであります この外の工人は中ノ沢方面には居りません 
 当店木地製造は昭和8年12月より製造いたし居ります 工人は岩本善吉様の長男岩本芳蔵にて年は24歳一昨年前迄各方面修業致して参りまして手はよく有りますがこけし其の玩具の絵書きの事出来ぬので絵は酒井正進絵であります 年37歳であります 会津方面に居る木地屋様不明でありますからご調べ返事申し上げます」(昭和10年3月)

酒井正進による石井眞之助宛ての書状(箕輪新一蔵)

下掲写真右側の桔梗模様の8寸は〈木形子談叢〉掲載のものと同様の手で安藤良弘の描彩であろう。左端は芳蔵木地に正進が描彩したもの。


〔右より 24.0cm(昭和10年頃)、24.0cm(昭和16年頃)(鈴木康郎)〕

上掲右端のこけし頭頂には下掲写真のように紅で桔梗が描かれていて特異な様式である。


頭頂の桔梗模様

下掲は岩本芳蔵の木地に酒井正進が描彩を施したもの。


〔18.8cm(昭和15年頃)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

下掲の一連の作も岩本芳蔵の木地に酒井正進が描彩を施したもの。


小野洸コレクションの酒井正進名義

戦後も下掲のように戦前から一貫した作風を維持してこけし製作を行った。


〔 30.3cm(昭和50年)(高井佐寿)〕

〔伝統〕土湯系中ノ沢亜系あるいは独立系
安蔵良弘の図案が原形であり、系統的な伝承はない。土湯系の名残は頭長の蛇の目くらいである。

〔参考〕

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