佐藤照雄

佐藤照雄(さとうてるお:1919~1988)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤静助

弟子:佐藤憲雄

〔人物〕大正8年6月30日、佐藤豊治二男として遠刈田温泉に生まる。佐藤三蔵は五男、佐藤里見は六男でそれぞれ照雄の弟にあたる。昭和6年小学校卒業後、上京してブリキ玩具製作所で働いたが、昭和9年に倒産したため福島仲間町に移り、従兄の静助が職人をしていた管野菊好堂(桐材専門)で働いた。昭和13年、静助が曾根田町で独立したので、照雄も静助のもとで木地挽きの修業を行った。昭和14年静助が死亡したため、遠刈田に帰郷し、父豊治と共に自宅で木地業に従事、こけしや家具を挽いた。同15年より現役兵として入隊、18年除隊したが、19年再び応召し、終戦と共に帰郷した。戦後は北岡工場で働いた。昭和23年に長男の憲雄が生まれた。昭和25年に北岡工場をやめて新地の本家に戻り営業を開始した。昭和38年からは長男憲雄に木地の技術を伝えた。
昭和63年7月9日没、行年70歳。
 

佐藤照雄 昭和36年

佐藤照雄 昭和36年 撮影:露木昶

〔作品〕戦前は昭和13年に静助のもとで少数作り、昭和14年に遠刈田に戻ってから豊治の下で少し作った。こけしは静助の作風に従って作り始めたと思われ、一筆目の静助の表情を継承している。
下掲は深沢要コレクションの照雄初期の作であるが、昭和13年10月に深沢要が静助を訪ねた際に入手したものではないかと思われる。胴模様などまだ手馴れていないが初々しい魅力がある。


〔 17.0cm(昭和13年)(日本こけし館)〕 深沢コレクション

戦後は北岡工場で主に新型の木地などを挽いた。照雄自身のこけしにも新型様の傾向が出ていた。美術出版社版の初期の〈こけしガイド〉などに掲載されている照雄の作は目じりの下がった弱弱しい作であった。
昭和30年代後半より静助の型を作るようになり、一筆目の気品のある作風を回復した。


〔 30.3cm(昭和45年)(高井佐寿)〕

 

〔伝統〕遠刈田系周治郎系列

 

〔参考〕

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