佐藤憲雄

佐藤憲雄(さとうのりお:1948~1995)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤照雄

弟子:佐藤すみえ

〔人物〕 昭和23年6月6日、遠刈田新地佐藤照雄の長男として生まれる。昭和38年3月遠刈田中学校卒業後、照雄につき木地修業、昭和39年よりこけしを作り始めた。妻女すみえとの間に一男二女をもうけた。
昭和の末に「遠刈田若手工人の会」及び「美轆会」の設立に尽力したが、平成7年8月22日、病のため没した、行年48歳。
好人物で面倒見がよく、当時の遠刈田系若手工人のリーダーであった。

左より 佐藤憲雄、佐藤好一 昭和40年

佐藤憲雄 昭和58年1月

〔作品〕 憲雄が普段作っているものは静助型の一筆目であるが、父照雄の初期作を写した物も少数作られている。静助型は昭和39年から病気で轆轤を降りた平成6年まで作り続けているため、多少の変遷がある。初期は稚拙でのびのびとした素直な作風であった。

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〔23.9cm(昭和40年)(庄子勝徳)〕

昭和45年以降は描彩が整い甘さが加わる。この時期の作例は〈伝統こけしガイド〉に掲載されている。


〔24.0cm(昭和63年)高井佐寿〕

下掲のように一時、照雄が戦後に作った様式を試みたこともあったが、これは叔父守正の忠告により製作を止めている。


〔 18.0cm(平成2年)(ひやね)〕

昭和の末から平成になると、静助型の一筆目のアクセントは若干内側に寄るようになった。この傾向は亡くなるまで続いた。

   〔14.9cm(平成4年)(庄子)〕
〔14.9cm(平成4年)(庄子勝徳)〕

〔伝統〕遠刈田系周治郎系列。父照雄は分家であったが入婿となって本家を継いだ関係で、憲雄は周治郎の直系子孫といえる。

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