藤原勝郎

藤原勝郎(ふじわらかつろう:1944~)

系統:木地山系

師匠:見取り

弟子:

〔人物〕 昭和19年10月5日、秋田県湯沢市三梨町字上堀の農業藤原市太郎の長男に生まれる。父市太郎は出征していて、勝郎が生まれる前に戦死した。
勝郎は高校を卒業後しばらく働いたが、やがて稲川町役場に入り、定年となった平成17年3月まで33年間勤めた。
稲川町には木地師や塗師、沈金師が多く、その製品を商う店もあって、こけしや木地ものには関心があった。こけしの描彩などを折に触れて行ったことがあった。
定年後、平成20年頃にロクロを据えて、木地を挽くようになった。特に師匠についたわけではなく見取りである。平成23年頃からこけしをつくり、湯沢の民俗行事である犬っこまつりの会場などで売るようになった。
木地山の形態を基本として、描彩は種々考案して描いているが、小椋石蔵や木地山系の古形を忍ばせる作品も作る。
一方で、稲川町の歴史探査や郷土資料の整理、解析にも力を注いでいる。このきっかけは役場を辞める10年ほど前に、稲川久保の旧家高橋利兵衛家の膨大な古文書類が稲川町役場に寄贈されたことによる。その整理を勝郎ともう一人のメンバーで担当したが、定年時点で完了せず、またともにこの任に当たったメンバーが亡くなったこともあり、教育委員会の委嘱を受けて現在(平成29年)も、この仕事を継続している。
午前は役場の仕事、午後は農業と木地を挽く仕事という生活だという。
稲川には高橋利兵衛、中野東兵衛といった古い商家があって貴重な古文書類も多い。江戸期に木地師が会津から鳴子を経由して、鬼首、高松山の裾を廻って木地山に至る経緯を伺わせる古文書もあるようである。こうした調査の一環として、藤原勝郎は〈こけし手帖・663〉に「木地師・岩松直助(麻生政治)について」という報告を載せている。


藤原勝郎 平成29年11月 東京巣鴨 とげぬき地蔵尊高岩寺にて


藤原勝郎 平成29年11月 とげぬき地蔵尊高岩寺実演

〔作品〕 木地山系の形態に、菊模様を描くこけしが基本であるが、創作、新考案の胴模様や形態を試みることもある。緑、赤、緑の三段重ねの渦巻き模様を胴にあしらったこけしや、水引き草を描いた胴模様などもある。

下掲写真の作は、ややアレンジした形態に小椋石蔵風の井桁模様を描いたもの。小寸であるが、勝郎の個性を伝統の枠にうまくまとめた作品である。


〔 13.5cm(平成29年11月)(橋本正明)〕

なお署名は胴の背面下部に「三梨」と墨書する。号のようなものと言っている。

 〔伝統〕 木地山系

〔参考〕

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