鈴木昭二

鈴木昭二(すずきしょうじ:1927~2015)

系統:作並系

師匠:鈴木清/我妻吉助

弟子:佐藤政史/与名本豊/奈良吉弥/岡崎武/二瓶豊/鈴木明

〔人物〕  昭和2年8月3日、米沢市の玩具商・木地業鈴木清・峰子の長男に生まれた。昭和17年4月中学校卒業とともに横浜の海軍航空技術廠に入り、設計に従事していたが、終戦に際し、20年より白石の共栄木工所に入って木地の技術を習得した。その後、秋田県で農村工芸員を勤めたあと、仙台市に帰り、父鈴木清についてさらに木地の技術を磨いた。仙台では新型こけしを挽いていたが、28年4月に独立した。一時、我妻吉助の指導を受けたこともある。佐藤太郎の娘みさほと結婚。昭和30年より伝統こけしの製作を始め、父鈴木清の作る高橋胞吉の型に学んだ作品を出すようになった。仙台市日の出町で父が経営していた「玩愚庵 こけし屋」という郷玩店を継承して、自作も店頭に並べた。妻女みさほの弟佐藤政史が弟子入りし、昭和34年まで木地下を挽いた。この他に、弟子には与名本豊、奈良吉弥、岡崎武、二瓶豊等がいる。
昭和40年ころから、昭二は現物や本の図版などで胞吉の研究を進め、胞吉にかなり肉薄する作品を作るようになった。
平成3年頃仙台の店をたたみ、同4年秋保工芸の里で独立していた三男明の店の隣に店を建てた。その近くに新築した自宅から平成20年頃まで通いで営業していた。
平成27年10月11日没、行年89歳。

鈴木昭二   撮影:佐藤 健兒朗
鈴木昭二

〔作品〕 製作当初は、父鈴木清の胞吉型を写す事に努めていた。〈こけし 美と系譜〉には昭和38年1月作2本と39年12月作の計3本が掲載されている。この頃の作は胴も幾分太めで、その時期の鈴木清に近いバランスである。
下掲は昭和40年12月の作、胴は細くすっきりとして胞吉の姿に近づいている。面描は決して甘くなく、胴模様の花もぼったりと滲ませて描き、よい時期の胞吉に肉薄している。この時期に、鈴木清の胞吉型から離れ、古作を学んで自らの胞吉型を完成させたことが分る。

〔 17.5cm(昭和40年12月27日)(橋本正明)〕
〔17.5cm(昭和40年12月27日)(橋本正明)〕

〔30.3cm(平成12年)(高井佐寿)〕
〔30.3cm(平成12年)(高井佐寿)〕

後年においても、上掲のように眼尻の垂れない品のある面描、すっきりとした胴のバランスの胞吉型を作った。一方で種々の木地人形や変わり型も作り、また観光土産としてのこけしも同時に製作した。
伝統こけしとして残るものは、やはり胞吉を追求した緊張感のある作品だと思われる。

系統〕 作並系仙台亜系

昭二の三男鈴木明、その二男鈴木敬も木地を学び、仙台の鈴木清・昭二の系統を継承するようになっている。

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