鈴木豊

鈴木豊(すずきゆたか:1924~2011)

系統:独立系

師匠:山本与右衛門

弟子:

〔人物〕大正13年12月15日、鈴木東蔵・まつの の四男として岩手県東磐井郡東山町長坂に生まれる。父、東蔵は東北砕石工場を経営していて宮沢賢治を技師として招いた時期もあった。
学校卒業後父の経営する会社に入社、昭和17年に海兵団入隊し、終戦と同時に昭和20年復員した。戦後は石材関係の仕事に就いて、昭和24年に細川照子と結婚した。昭和32年4月に父の東蔵の知人、山本与右衛門に弟子入りした。当時、与右衛門は中風で仕事は出来なかったが半年程通い修業した。こけしは昭和33年から市販するようになり39年からは東山工芸社を興し、大理石工芸品も製作するようになった。こけしは与右衛門型を製作していたが、正確な写しでは無く鈴木豊の個性が出た作風であった。平成5年からは宮本永吉型にも取り組み、平成13年には宮本惣七型、〈うなゐの友・第二編〉の一の関不明こけし、〈木形子談叢〉の与右衛門等の復元も行った。
平成23年6月7日没、行年88歳。
父・東蔵は宮沢賢治と親交を深め、農村文化振興に努めた人。平成13年には「宮沢賢治の会」を中心に功績を称える「生家の碑」が建立された。豊も町会議員を2期務め東山町商工理事、東山町観光審議会委員等の要職に就いていた。平成9年に〈父東蔵の足跡〉、平成11年に〈続編・父東蔵の足跡〉、平成12年には自らの半生を描いた〈海軍の思い出〉を自費で上梓している。 

〔作品〕鈴木豊は師の山本与右衛門をベースとして継続的にこけし製作に取り組んできた型。右端がそのこけしであるが、この型はむしろ鈴木豊の本人型と言っても良い。
80歳に近づいた平成13年以降果敢に取り組んだ一ノ関・花巻周辺の古型の復元からは、面白い作品が次々生まれた。


〔右より 18.7㎝(昭和51年2月)与右衛門型、18.9㎝(平成6年7月)宮本永吉型、21.2㎝(平成13年7月)〈うなゐの友・第二編〉一ノ関不明こけし、23.8㎝(平成14年3月)宮本永吉型、8.9㎝(平成14年6月)宮本惣七型、12.8㎝(平成15年2月)鎌田千代吉型 伊勢こけし会頒布(中根巌)〕

〈こけし辞典〉では「山本与右衛門の型を主に挽くが、最近は鳴子型も多少挽く。初期の作品は稚拙であったが、最近のものは決して悪い出来ではない。しかし〈 木形子談叢〉に写真が掲載された与右衛門の傑作には及ばない。」とされている。下掲は橘文策の〈 木形子談叢〉の与右衛門を復元したもの。〈こけし辞典〉出版から30年余を経てからの取り組みであるが、傑作と言われた与右衛門の作風を有る程度再現できている。 


〔22.7㎝ (平成13年5月)橘文策旧蔵 山本与右衛門の復元 (中根巌)〕

〔伝統〕鳴子系 山本与右衛門の伝統としての系譜は良くわからない。一応一ノ関に宮本永吉の存在を考慮して、その鳴子系との関連を考慮している。鈴木豊についても同様の考慮から鳴子系としている。

 

〔参考〕

  • 橋本永興:山本与右衛門と鈴木豊〈こけし手帖・532〉(平成17年)
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