高瀬時男

高瀬時男(たかせときお:1928~2011)

系統:鳴子系

師匠:高瀬善治

弟子:小林和正

〔人物〕昭和3年3月18日、青森県上北郡十和田町大字奥瀬字休屋の土産物店経営高瀬善治、スエの長男に生まれる。母スエの妹は本田功の母に当たる。父善治は土産物店経営の傍ら、こけしの製作を行なっていて、昭和31年には本田功が善治の弟子となった。時男も見取りで幼時より木地を挽いていた。昭和39年ころ、ロクロを足踏みよりモーターに変えた機会に二ヵ月間こけしを製作。その後は十和田湖モーターボート会社へ勤務のかたわら、時折り製作した。父善治が高齢になったので、時男は昭和44年12月より本格的に作るようになった。昭和49年に父の善治が亡くなった後は、土産物店と貸ボート業を営む傍らこけしを作った。大湯に嫁いだ姉アヤ子の長男小林和正が昭和51年から土産物屋の店員として働くようになったが、こけしに興味を持っていたので木地の指導を行なった。
平成23年5月29日没、行年 84歳。


右:高瀬時男 左:長男明彦 平成21年8月 撮影:中根巌


高瀬時男 平成21年8月 撮影:中根巌

〔作品〕父の高瀬善治の戦後の作風をそのまま継承してこけしを作った。


〔 25.7cm(昭和54年)(高井佐寿)〕

高瀬の型以外に、小松五平の様式に倣ったこけしも作った。

 〔伝統〕鳴子系 
具体的な鳴子からの継承を確認できているわけではないが、休屋には大湯から小松五平もこけしを運んで売っていたと言い、また鳴子の大沼竹雄のこけしも運び込まれていたようであるから、そうしたこけしの影響下に時男の父善治はこけしを作り始めたのだろうと考えられている。しかし、こけし自体の形態は独特であり独立系として扱う人もいる。
弟子の小林和正が高瀬一家の型を継承している。

〔参考〕

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