佐藤久助

佐藤久助(さとうきゅうすけ:1886~)

系統:蔵王高湯系

師匠:佐藤久吉

弟子:大沼新三郎

〔人物〕明治19年2月9日、宮城県柴田郡前川村(現在の青根)の木地業佐藤久吉・りんの長男に生まれる。父久吉は遠刈田の佐藤久蔵の長男で、久吉の妹トラは先代の佐藤文吉(文六の父)に嫁いでいる。久助は父久吉について木地を学び、父の働いていた丹野倉治工場の職人となった。こけしも作ったという。大沼新三郎は、丹野工場で久助について木地を学んだ。
明治38年に久吉が亡くなり、明治40年には工場主の丹野倉治も亡くなったので、丹野工場は衰微していった。佐藤久助は明治41年に青根を去り、北海道に渡って定山渓あたりで働いたというが北海道時代の消息は確かではない。没年月日も不明である。 

〔作品〕確実に久助作と確定されたものはないが、久助ではないかという作はある。下掲は大正12年頃に青根で手に入れたという古作であり、蒐集家の川上克剛の手に渡って、〈美と系譜〉図版115で紹介された。
久助の弟子大沼新三郎は、これを佐藤重吉の作、あるいは佐藤久助の作と言ったらしい。一方佐藤菊治は重吉ではないと否定していたので、久助の可能性が推定されている。
とりあえず佐藤菊治に依頼して復元されたこけしもある。
下掲の左が原物、右が菊治の復元作で、正確に原を写しているので資料的には貴重なものとなった。ただし久助は明治41年に北海道へ移っているので、入手したという大正12年までどのようにしてこけしが残っていたのか疑問は残る。子供が遊び古したものだったかもしれない。また所蔵者が大沼新三郎に確かめたという会話の内容もやや正確さを欠き、〈美と系譜〉と〈こけし辞典〉の記述にも齟齬があって判断を困難にしている。ただし現在、久助の可能性のあるこけしはこの一本だけである。


左 19.8cm 青根古作(川上克剛旧蔵) 
右 20.4cm(昭和41年)(橋本正明) 佐藤菊治による復元

〔伝統〕遠刈田系吉郎平系列。

 

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