玉根四郎

玉根四郎(たまねしろう:1929~2022)

系統:土湯系

師匠:篠木利夫

弟子:

〔人物〕昭和4年3月11日、福島県信夫郡水保村(現在は福島市)に農業、玉根菊蔵、まきの十人兄弟の四男として生まれた。昭和18年3月水保村立水保尋常小学校高等科卒業後、農業に従事した。有料道路会社に勤めていた昭和36年に二本松市出身の菅野(すげの)ミサオと結婚して3人の子供に恵まれた。昭和38年に高湯温泉にあった福島市社会教育館「こぶし荘」の管理人となった。
この頃に高湯温泉で食堂の経営をしていた篠木利夫に出会った。篠木は難波(佐藤)久弥とはタクシー会社の福島貸切自動車(株)の同僚(篠木は運転手、久弥は経理課)で、その縁で昭和41年に短期間、久弥の義父佐藤佐志馬に師事し、昭和43年よりこけしを販売するようになった。
玉根は管理人の傍ら昭和44年に篠木の一番弟子となり同年より篠木食堂でこけしを販売するようになった。轆轤は篠木食堂裏に設置され、篠木と並んで挽く事が多かった。昭和40年代は高湯温泉に観光客が多く、こけしも売れたので盛んに挽いた。昭和56年に篠木が高湯から大森堂ノ前に食堂を移動した頃から玉根の製作本数は減少した。昭和60年に篠木は大森西ノ内に食堂を新築して轆轤も高湯から移動した。これを機に玉根はこけし作りを辞めた。
令和4年1月5日逝去。行年94歳。玉根の三男、正人によると口数少なく律義者であったが、やや頑固な一面もあったとの事である。
一時、10名近い工人が活動した篠木グループも太田孝淳一人になった


玉根四郎 平成25年頃

〔作品〕こけしの年代変化は相応にあるが、篠木利夫からの影響が大きい。基本的には佐藤佐志馬、篠木利夫の系譜を継ぐこけしと言える。
ガイドブック類にはあまり掲載されていないので、残る作品は少ないかもしれない。


〔右より 24.3cm(昭和45年)、24.3cm (昭和53年)、18.2cm(昭和54年)(中根巌)〕


〔右より 30.3cm(昭和52年)、30.3cm、(昭和52年)、30.3cm(昭和48年)(中根巌)〕


〔30.3cm(昭和54年)(高井佐寿)〕

系統〕 土湯系 佐藤佐志馬、篠木利夫の系譜

〔参考〕

  • 〈こけし辞典〉では玉根四郎の生年月日を3月18日としたが、3月11日が正しい。
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