新山栄助

新山栄助(にいやまえいすけ:1874~1942)

系統:弥治郎系

師匠:新山栄五郎

弟子:

〔人物〕明治7年8月9日、宮城県刈田郡福岡村八宮(弥治郎)の農業木地業新山栄七・みわの次男に生まる。新山栄五郎は長兄にあたる。母みわは同村八巻左蔵の三女。
栄助は明治23年17歳のとき兄栄五郎について木地修業を修行した。
明治27年21歳より明治44年38歳まで、1、2日おきに小原に行商に通った。朝2時に家を出、5時に小原着、こけし、鳴りごま、やみよ、すずばかま、筆立等を売り、8~10貫目位、1日2~3円になったという。この栄助の小原商いの話は菅野新一の〈山村に生きる人々〉に詳述されている。
明治29年10月、白石町鷹巣の菊池喜三郎の四女ふきと結婚した。息子夘八は明治35年12月23日生まれ、その上にさき、まき、かねの娘三人がある。長女さきは数ヶ月で早世した。
大正より昭和初年にかけての時期、栄助が木地を挽いていたか、何をしていたかは不明である。明治36年4月に分家しているから、大正以降は主に農業に従事していたと思われる。
〈鴻・2〉の深沢要の報告に「最近栄助が木ぼこを挽いた話を聞くが、栄助は10年来の半身不随で、も良く聞えず、全く気の毒な身体であって、到底作ったとは信じ得ない」という記事がある。一方で菅野新一の〈山村に生きる人々〉には昭和15年撮影という下掲の写真があり、栄助が立っている姿が紹介されている。半身不随といっても、この写真が撮影できる程度であったなら、簡単なロクロくらいは挽けたかもしれない。菅野新一が栄助が製作しているのを実見したのかどうかは、もはや確認のしようがない。あるいは栄五郎木地に描彩程度行っていただけかもしれない。
昭和17年11月28日没、行年69歳。


新山栄助 昭和15年  撮影:菅野新一

〔作品〕〈こけし 美と系譜〉の図版34に米浪庄弌旧蔵の6寸が掲載されている。栄五郎に似た自然な表情で、昭和14年作という。下掲の鈴木康郎蔵品は尺1寸5分の大寸であるが、表情は米浪蔵品に近い。ほぼ同時期の作と思われる。

〔34.9cm(昭和15年頃)(鈴木康郎)〕
〔34.9cm(昭和14年頃)(鈴木康郎)〕

下掲の西田旧蔵、および鹿間旧蔵は昭和16年頃の栄助といわれるもの。面描、とくに鼻の描き方に特徴がある。いわゆる栄助らしい特徴の出たこけしである。


〔右より 26.3cm、15.5cm(昭和16年頃)(西田記念館)〕 西田峯吉コレクション

鹿間旧蔵の栄助は、菅野新一経由で入手したものといわれる。


〔30.0cm(昭和16年)(鹿間時夫旧蔵)〕

新山実が栄助型を作ることがある。

系統〕弥治郎系新山系列

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