新山定雄

新山定雄(にいやまさだお:1908~1981)

系統:弥治郎系

師匠:新山久治/福太郎/左内

弟子:新山勝祥

〔人物〕明治41年2月15日、宮城県刈田郡福岡村八宮弥治郎の木地業新山久治郎、さとの七男に生まれる。兄に久治、久之助、勇、福太郎、左内、吉雄がいたが、久之助と勇は幼くして亡くなった。大正10年福岡村尋常高等小学校を卒業後兄の久治について木地を学んだ。また兄の福太郎、左内の指導も受け、こけしや玩具を作った。
大正14年上京し、タクシーや貨物自動車の運転手として働いた。昭和17年に長男の勝祥が誕生した。
終戦後帰郷し、白石市奥丸森の金森鉱業所で自動車係りとして勤務した。総和27年に木地挽きを再開し、八代鉄園の注文を受けて主に新型用の木地を挽いた。昭和29年に一時身体をこわして休養したが、昭和30年に復帰して伝統こけしの製作を始めた。このころから長男勝祥に木地の指導を行った。しかしその後も、体調を崩して休むことが多く、昭和35年以降は殆ど作らなかったため作品数は必ずしも多くはない。
昭和56年5月29日没、行年73歳。

新山定雄

〔作品〕戦前の作は殆ど残っていない。
昭和30年にこけし製作に復帰して以後のものが知られている。下掲のものは復帰した頃の作でおとなしい表情のこけしであった。
定雄のこけしは胴下半の裾模様が二本で、かつ直線状に描かれる特徴がある。長男の勝祥のこけしもこの特徴を継承している。

 
〔 30.3cm(昭和30年頃)(高井佐寿)〕

昭和32,3年の作が割合に多い。下掲のような作り付けの小寸は弥治郎らしい佳品であった。


〔18.1cm(昭和32年)(ひやね)〕

なお〈こけし辞典〉の新山定雄の項目には、上掲二葉の写真と全く異なる表情のこけしが掲載されているが、そのこけしは長男勝祥の作である可能性が高い。

〔伝統〕弥治郎系新山系列
長男の新山勝祥が定雄のこけしを継承した。

 

〔参考〕

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