佐藤豊七郎

〔人物〕明治22年2月15日、宮城県刈田郡七ケ宿村湯ノ原稲子の農業佐藤豊之丞、きのの二男に生まれる。大正7、8年の両冬、宮城県主催で佐藤松之進を講師とする稲子木地講習会が開かれ、豊七郎の小屋を受講場として、12名が受講した。こけし、玩具等を作り上ノ山赤湯、高畠、米沢等に出した。昭和18年、菅野新一のすすめで、少数のこけしを挽いた。誰の作を手本にしたかは不明である。妻みえのとの間に文夫、稲造、きの、智夫、雪子、光子、重男等六男、四女がある。
昭和19年8月19日山形県東置賜部屋代村にて没、行年五六歳。
なお〈蔵王東の木ぼこ〉には豊七郎が語った曽祖父佐十郎の話などが載っている。
 
〔作品〕残る作品は極めて少ない。また大葉亀之進名義の中に豊七郎があったり、佐藤豊七郎名義のなかに大葉亀之進があったりするのでその鑑別は難しい。
下掲は西田記念館の佐藤豊七郎名義、三筆の前髪の形状は大葉亀之進であるが、同じ西田記念館の大場亀之進の昭和16年作と比べると表情、襟の描法も違う。昭和16年に菅野新一が稲子に訪れたとき、亀之進だけでなく豊七郎にも製作を依頼していたのなら、これは豊七郎の筆かもしれない。


〔23.0cm(昭和16年)(西田記念館)〕 佐藤豊七郎名義

下掲は鹿間時夫が菅野新一から譲られたもの、菅野新一が昭和18年に豊七郎に製作依頼して入手したものの一本である。同中央にろくろ線を入れ上下に菊花を描く様式は誰からの継承か定かではない。師匠松之進のこけしに豊七郎が工夫を加えたものかもしれない。


〔24.3cm(昭和18年8月)(鹿間時夫旧蔵)〕

下掲は植木昭夫蔵の8寸3分、〈こけし辞典〉では大葉亀之進昭和16年作として掲載されている。しかし、西田コレクションの大場亀之進の昭和16年作と比べると前髪の描法や、重ね菊の花弁の角度などが異なる。またこの植木蔵の面描、特に鼻の筆法などは上掲の鹿間蔵豊七郎と同一であるので、これも菅野新一によって製作した昭和18年の豊七郎の一本であると思われる。こちらは雰囲気は違うが、個々の要素は松之進を継承したこけしである。


〔 25.0cm(昭和18年)(植木昭夫)〕 

 

〔伝統〕遠刈田系吉郎平系列

〔参考〕

  • 菅野新一:稲子部落と、きぼこ工人〈蔵王東のきぼこ〉(昭和17年8月)
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