堀実

堀実(ほりみのる:1896~1977)

系統:山形系

師匠:小林吉太郎からの見取り

弟子:堀しん/堀義美

〔人物〕明治29年10月3日、農業堀吉太郎長男として山形県南置賜郡南原村芳泉(現米沢市)に生まれた。米沢興譲館高校卒業後、村役場の勧業係をしていたが、大正6年ころから、当時米沢にきた小林吉太郎と親しくなり、趣味にこけしを作り始めた。昭和5年武井武雄の〈日本郷土玩具〉で紹介されたときに、すでに新型こけしを作っていたようであるから、米沢における新型こけしの嚆矢と言ってよいかもしれない。その後自宅で足踏みロクロにより新型や旧型を作り、昭和16年から米沢市信濃町の小林吉太郎方で旧型の描彩を行った。この頃、妻女のしんもこけしの描彩を行った。また長男の義美もこけしを作った。
戦後は、昭和21年ころほんの少数旧型こけしを挽いたことがあったが、以後廃業した。
昭和52年10月3日没、行年82歳。
 

〔作品〕武井武雄から注文のあった昭和5年ころには吉太郎型を模したものと共に、自分工夫の新型も作ったようで、〈日本郷土玩具〉によると、「モダンこけしでリボンをつけたおかっぱ頭に着物は鈴蘭やチューリップを配し」とある。吉太郎型のほうは一様に目が大きく、鼻は猫鼻、筆致生硬。胴模様も葉の描き方が吉太郎と異なり、独特のものである。その後も少数作っていたらしいが、ほとんど収集家に知られることはなかった。
〈こけしと作者〉には笹野作者不詳として下掲のこけしが掲載されている。「ある同好者より間接入手したもので笹野こけしと聞いている。山形のか、小林系統かと思える。」とある。これは堀実の長男義美が後年作ったものとよく似る。後年の堀実作はおそらく妻女しんの描彩で、初期の下掲が吉太郎を継承した実の作、義美はその当時の作を継承したのかもしれない。
また一説に堀実は殆ど描かず、この時代の面描は吉太郎が行っていたという人もいる。


〔18.8cm(昭和10年頃)(橘文策旧蔵)〕〈こけしと作者〉に笹野こけしとして紹介された。

昭和16年より吉太郎工場で描彩をしたときは、吉太郎を模した旧型を描いたが、残る作品数は多くはない。妻女しんも描彩にあずかっていたが、実名義としん名義の筆致を区別するのは難しい。下掲は信濃町の吉太郎工場での作。胴の花はコスモスのように描かれている。


〔24.8cm(昭和16年4月)(鈴木鼓堂旧蔵)〕

下掲は高井佐寿蔵、上掲の鈴木鼓堂旧蔵(昭和16年4月作)と表情は近いが、胴の5弁の花は丸く、コスモス状ではない。製作時期は同じ頃であろう。


〔24.0cm(昭和16年頃)(高井佐寿) 

〔伝統〕山形系。吉太郎からの継承がベースにあるがやや一般型化している。

〔参考〕

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