本田久雄

本田久雄(ほんだひさお:1923~)

系統:弥治郎系

師匠:本田鶴松

弟子:

〔人物〕 大正12年8月29日、宮城県刈田郡小原村字湯元二三の木地業本田鶴 松・まさの四男として生まれた。昭和13年高等小学校卒業後、父について木地を修業し、こけしの製作も行った。初出の文献は昭和15年7月〈鴻・第1号〉であったが、作者名は「久男」として紹介されていた。昭和 15年2月東京に出て、工場に勤めたが、しばらくして帰郷し、昭和16年ころには兄亀寿と共にこけしを挽いた。しかし昭和16年に転業して道路人夫となった。転業後も暫くこけしを作ったが製作数は多くはない。昭和25年天野きよ子と結婚、その後東京都北多摩郡府中町に転居し、工場勤めをした。
 東京転出後の消息は詳らかではない。 

〔作品〕 初出の文献であった〈鴻・第1号〉(昭和15年7月刊)では、小原の作者の鑑別が行なわれ、本田久雄の作も紹介されて、本田鶴松、亀寿、四竈健康との鑑別が議論された。
下掲2本は昭和15年の作といわれている。東京に出る前の18歳ころの作かもしれない。


〔右より 15.8cm(昭和15年ころ)(鈴木康郎)菅野新一旧蔵、8.3cm(昭和15年ころ)(植木昭夫)〕

下掲写真の二本は昭和16年ころ、東京から戻って兄の亀寿とともにこけしを作っていたころのもの、この時期のものが久雄の代表的な作風であろう。鹿間時夫は「一見亀寿に似ているが、さらに素朴ユーモラス。目鼻のタッチが多少粗く眉間広く、上瞼も亀寿より大きく描くが、 四竃健康ほど極端に曲がらない。」〈こけし辞典〉と評している。穏やかで衒いのない表情のこけしである。

 
〔右より 21.5cm、21cm(昭和16年ころ)(森川桂一)〕 

〔伝統〕 弥治郎系栄治系列

〔参考〕