盛元吉

盛元吉(もりもときち:1874~1918)

系統:津軽系

師匠:盛與助

弟子:盛秀太郎

明治7年8月8日、青森県温湯温泉の養蚕業盛與助、はるの長男に生まれた。貞吉、角太郎、慶太郎、慶次郎、健蔵、しえ、しよの弟妹がある。
明治28年、温湯の毛利與七の妹のよしと結婚した。よしとの間に秀太郎、栄太郎、みさ、まる、秀三郎、みつ、みやの三男四女をもうけた。
元吉は、家業養蚕業の合間に木地業をも営み、長男秀太郎に木地の技術を教えた。長おぼこも作ったというが元吉の作品は残っていない。彼の代に絶えた長おぼこを秀太郎が復活したことになっているが、秀太郎のこけしにどの程度元吉の様式が継承されていたか不明である。
秀太郎の直胴にロクロ模様だけのもの、あるいは簡単な牡丹を配したものを古型の長おぼこといっており、あるいは元吉時代の長おぼこを偲ばせるものかもしれない。
元吉の家は温湯の旧家八軒のうちに入っており、祖父は専四郎(専之丞)である。

明治27年に京都で開催された第4回の内国勧業博覧会には父の盛與助が出品者として玩具類、道具類を出品しているが、製作者は元吉となっており、元吉製作の玩具として小児エツコ、子供槌が出品されていたことが分かる(作品名の下に製作者として盛元吉と記されている)。

第4回内国勧業博覧会 (玩具類の区分)


第4回内国勧業博覧会 (木地製品の区分)

大正7年12月15日没、行年45歳。

〔参考〕

  • 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)
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