小椋亀重

小椋亀重(おぐらかめしげ:1888~1965)

系統:木地山系

師匠:会津木地師

弟子:石井誠朗

〔人物〕明治21年12月20日、石川県輪島に生まれた。会津で木地の修業を行い、輪島、川連などで木地職人として働いた。この間に所帯を持ったが、妻女は木地山の小椋久太郎の遠戚にあたる。小椋亀代司は息子である。戦後、岩手県盛岡市に移り、石井峰吉の工場五葉社に入り職人を務めた。この時、峰吉の養子となっていた石井誠朗に木地の指導を行った。木地の腕は非常に優れていたという。
新型こけしなども作っていたが、昭和37年頃より木地山風のこけしを作るようになった。作品数は多くはない。
昭和40年3月30日没、行年78歳。
亀重の死後、息子亀代司は亀重様のこけしを作り、「亀寿こけし」として出すようになった。

〔作品〕木地の系統から言えば会津であるが、戦後盛岡に移ってからこけしを作り始めたので、盛岡地方の一般型であろう。木地描彩とも独自の考案による伝統風創作と思われる。
晩年になって昭和37年ころから作った木地山風のものは木地山一般型と呼ぶべきかもしれない。


〔28.2cm(昭和30年頃)(高井佐寿)〕

〔伝統〕南部一般型、木地山系一般型

 

〔参考〕

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