湯ノ沢

秋田県雄勝郡雄勝町下院内字湯ノ沢にある温泉。平安時代の”後三年の役”の際、源義家がこの湯に将兵を休ませたとの伝承がある。「傷の名湯」として名高い温泉であった。江戸期には湯宿が営まれていたが、明治元年(1868)洪水で一切を流失した。温泉宿は明治30年代に再建されたが、ちょうど日露戦争に勝利した後だったので、屋号を「日勝館」と名付けた。

湯ノ沢温泉 日勝館

湯ノ沢温泉 日勝館

〈こけし這子の話〉にこの湯ノ沢で作られたこけしが2本紹介されている。天江富弥はこれを「湯之澤の一文こげす」と称し、その解説に「大正13年同地より求めたもの、一文こげすと稱して居りました。湯街の湯気の爲か、胴模様は色あせて反つて面白味を増して居ります。その顔かたちがとても素敵で、印度の佛像を連想させます。現在製作人は転業したとのことです。」と書いた。 houko09
このこけしについては橘文策が次のような思い出話を〈こけしの魅力〉に書いている。

昭和13年の夏、深沢要さんの〈こけしの微笑〉が出版されて、その祝賀会が、東京で開かれることになったので、大阪側も参加して欲しいという案内状をもらった。 その年の大阪の暑さは格別で、毎日うだるような気持ちで、体をもて余していた私は、早速出席にきめたが、一人では淋しいので、その頃、蒐集と研究にピッチをあげていた米浪さんを誘ったところ、これまた賛成ということになった。 東京の会場では、有坂与太郎氏、田中野狐禅氏など玩界の大先輩をはじめ、こけし界の有名人が多数出席されて、盛会であった。会が終ってから、天江さんの経営していた、上野の勘兵衛酒屋に行って、三五屋さん(故松下正影氏)川口さんその他と、またチピリチビリやっているとき、天江さんが、ふざけた格好をして、懐から2本の小こけしをとり出した。私は思はず手を出して受取ると、果してこれは珍品であった。ichimon2四寸程で頭の大きさと、胴の太さのあまり違わぬ造つけ、オカッパ頭に、眉眼の間の開いた、鼻もズングリとひくい不器量こけし、胴の模様はにじんだり、はげたりして何になっているのか解らぬ…。これこそ湯之沢こけしだ。私の久しく見たいと念じていたものだった。天江さんが大正13年、同地で入手したこげすとは、このこけしだったのだ。それから一座は大騒ぎとなって一同拝まんばかりに、泣かんばかりに、手から手へ、次々に渡って、しばらくは嘆声が止まなかった。 それから一文こげすのために、天江さんのために、大いにやろうということになり、乾杯をくり返した。さすがに天賞の主も、すっかり酔がまわり、「よしツ、これから出かけようぢや」ということに相成って、一同そろって立ち上った。 それから、どこをどう通って、どこまで行ったか解らないが、米浪さんと私は、やっと上野駅まで来て、寝静まった宿屋をたたき起して一泊した。 暑さと昂奮で、寝苦しい一夜だったが、翌朝は案外いゝ気持ちで、再び天江さんを訪ねてみると、少々こたえているのか、青白い顔に、不安の色まで浮べて、うす暗いイロリの端に坐っていた。私達がはいるなり「ゆうべはえらいことをしましてねえ」といわれて、私はハッとした。酒の上で失礼したといふような、ありふれた挨拶だけでないような気がしたからである。 「ゆうべのきぼこがみつからないんだよ・・・」としょげていた。ゆうべのことは思ひ出そうとしても、何もかもポーツとしているし、今朝からあちこち探してみたが見付からないといわれてみると、天江さんのショゲル気持ちはわかる。 長さ四寸、直径五分程のこけしだったし、お互に大切に扱っていたとはいうものの、相当酔払って、あやしい手つきであっちへ移り、こっちへ渡り、子供の様にはしやいでいた最中に立ち上ってしまったので、その時誰の手にあったものか、どこに置いたのか、皆目分らないのであった。然し、詮じつめれば、どこかに置き忘れているか、途中で落したか、それとも誰かがうっかり持って帰ったか、この三つだろうと思うが、昨夜の連中で、連絡がついたのは、今こゝにいる三人だけで、一向におぽえがないというのだから、ほかの三人のうち、誰かが「あのこけしは何処そこにおいたよ」とか「あゝ僕が保管しているよ」とかいふことになれば、それでいゝんだ、とは思ってみるが、やっばり、割切れないものがあった。米浪さんと私は、それから二、三訪問して東京を去ったが、大阪に帰ってからも、そのこけしの行方が気がかりであった。 数日の後、天江さんから便りがあった、「あのきぼこは浴衣の袖に見付かったから安心してくれ」との意味だったので、私は思わず、クックツと笑い出したが、なかなか笑ひが止まらなかった。それで1週間の肩のシコリがとれた。 この話は、コケシマニアだけにしか通じない一大事件であるが、今にして思えば、滑稽な話である。  〈こけし這子の話〉の図録を見ていて、思い出した20年前の話である。    -昭和33年10月-

この湯ノ沢の一文こげすは、天江蔵2本、三原良吉、川口貫一郎、中井淳にそれぞれ1本づつあったが三原蔵は戦災で失われたという。中井蔵品はらっここれくしょんの中に今も現存する。 このこけしの作者はわかっていないが、形態様式から及位の佐藤文六に近く、産地も及位と離れていないのでおそらく文六の弟子ではないかといわれている。

〔10.6cm (大正13年ころ)(らっここれくしょん)〕 湯ノ沢 一文こげす

〔10.6cm (大正13年ころ)(らっここれくしょん)〕
湯ノ沢 一文こげす

 

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