井の頭こけし研究会

昭和47年2月から翌昭和48年1月までほぼ隔月に計6回開催された研究会。
メンバーは、西田峯吉、土橋慶三、武田利一、小野洸、柴田長吉郎、久松保夫、中屋惣舜、浅賀八重子、箕輪新一、橋本正明の10名である。柴田長吉郎が幹事役で、その勤務先の日本無線井の頭クラブを主な会場として研究会が開催されたので「井の頭こけし研究会」と呼んでいた。発表者は持ち回りで、発表資料を作成し、関係するこけしを皆が持ち寄って会を行った。

井の頭こけし研究会のメンバー(この他に土橋慶三もメンバーであった) 昭和48年1月 井の頭日本無線クラブ
井の頭こけし研究会のメンバー(この他に土橋慶三もメンバーであった) 
昭和48年1月 井の頭日本無線クラブ

昭和47年2月が第一回で橋本正明「鉛古こけし」についての発表、二回目が同年4月箕輪新一「吉田畯治とその周辺」、第三回同年6月各自持ち寄りの不明こけし検討、第四回同年7月柴田長吉郎「作並の木地業について」、橋本正明「岩松直助の木地業」、箕輪新一「吉田仁一郎についての資料」「遠藤幸三について」、第五回同年10月西田峯吉「高橋金太郎と万五郎」、第六回昭和48年1月中屋惣舜「小幡秀松聞書メモ」「初期丑蔵の年代変化」などであった。発表者は資料を作成して当日皆に配り、発表して討議するという極めてまじめな研究会であった。久松保夫、小野洸、武田利一はその日のテーマにあったこけしを自分のコレクションから持参して議論に加わった。

研究会会場の様子  昭和48年1月

研究会会場の様子  昭和48年1月


毎回発表者からは、こうした手書き資料が配られた。

毎回発表者からは、こうした手書き資料が配られた。

主な発表者が限られていたことにやや無理があり、また翌昭和49年5月から刊行された〈木の花〉の準備に、中屋、久松、箕輪、橋本が移って行ったために会の活動は自然に終了した。

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