大沼利右衛門

大沼利右衛門(おおぬまりえもん:1848~1898)

系統:鳴子系

師匠:大沼又五郎

弟子:高橋勘治

鳴子のこけし工人。大沼又五郎の弟子で、利右衛門系列のこけしの創始となった工人。現存する利右衛門のこけしはなく、作品未確認である。

大沼利右衛門の父は会津から来た塗師の渡辺養吉、理由があって明治維新の折に妻方の大沼姓を名乗った。母は源蔵湯の別家大沼彌五右衛門家(平三郎の家)の出ではないかという(高橋盛談)。利右衛門は嘉永元年5月29日に、渡辺養吉の長男として鳴子で生まれた。母方の大沼平三郎は木地師であり、また同じ源蔵湯隠居家督の大沼又五郎も木地師であったので、利右衛門は子供のころから木地師の環境に育ったが、慶応元年18歳のころ父方の郷里会津に行く機会があり、その途上で遠刈田や青根の木地業にも接して、木地を本業とする決心をしたという(孫の大沼貢談)。師匠は大沼又五郎である。川渡鍛冶谷沢の高橋丹治二女けさのを妻にした。
利右衛門の店は湯元の坂に向かって左側、現在の岡崎斉一の店の下手(大沼薬局のあった場所)にあった。
明治8年妻けさのの弟高橋勘治が弟子入りし、4年間ほど利右衛門の家で修業をした。利右衛門夫婦には男の子がなかったので長女とみゑに安吉を婿に取り、生まれたのが大沼貢である。
明治21年に鳴子漆器改良組合長沢口吾左衛門が県知事に出した報告書に29名の鳴子木地師の名前が列挙されているが、大沼利右衛門、大沼平三郎はこの中に記載されている。生涯を二人挽きで過ごし、綱引き多蔵に綱を取らせて木地を挽いたという。こけしも盛んに作ったようだ。明治31年旧暦4月19日(新暦6月7日)没、行年51歳。
利右衛門の没後けさのは家を二つに分け、一方を弟勘治一家に任せて、もう一方で綱引き多蔵に綱を取らせ、女ながらに木地を挽いていたという。妻けさのが作ったと言われるこけしが現存している。
利右衛門にはじまり勘治によって発展したこけしのグループを利右衛門系列という。

大沼利右衛門 明治25年

大沼利右衛門 明治25年

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