浅井小魚

浅井小魚
鹿角市先人顕彰館

秋田県鹿角郡大湯の俳匠で郷土史研究者。明治8年、大湯丁内の鍛冶業瀬川家に生まれ、本名は末吉。長じて22歳のとき浅井家に養子となった。 幼児から学問を好み、青年となるに及んで、熱心なキリスト教信者となり、布教活動もした。 その後、生業である鋸鍛冶のかたわら、河東碧梧桐について俳句を学び、一時荻原井泉水の影響も受けた。俳号を当初月太(げつた)とし、改号して小魚(しょうぎょ 読みをいさなとする説もあるがここでは 鹿角市先人顕彰館の資料にあるルビのしょうぎょによった)を用いた。郷土史の研究家でもあり、大湯環状列石調査(昭和7年に発見)、十和田湖調査なども行った、歴史資料収集家、また農民美術運動の指導者でもあった。
昭和22年9月9日没、行年73歳。
鹿角市十和田大湯字大湯大円寺の参道に「秋立つや大樹の梢おのづから」の句碑が建つ。

〈東北の玩具〉(仙台鉄道局編纂)昭和13年1月発行の巻末付録に付された「こけし這子製作地一覧表」の秋田県鹿角郡大湯温泉の項に作者として浅井小魚の名が記載されている。
大湯温泉のこけし作者としては長谷川清一と列挙されている。
なお同書の巻末付録「東北の玩具製作地一覧表」の大湯温泉の項にも大湯木彫(農婦、橇引女、牛追等)の作者としても浅井小魚の名が見える。小魚が農民美術運動の一環として木村五郎を初めとする若者を集めて製作した風俗人形の代表者として名前が掲載されたのであろう。それらは牛追い・農婦・雪の娘・雪の童女で「大湯彫四体」とされていたようである。
ただし小魚がこけしを作ったのか、作ったとしてどのようなものだったのかは不明である。風俗人形の一環として作った木彫りのこけし様のものをこけしとして取り上げたのかもしれない。

〈東北の玩具〉
こけし這子製作地一覧表

なお、仙台鉄道局の丹野寅之助が浅井小魚を訪問し聞き取りを行ったのは昭和3年8月5日の午後であったという。

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