朝倉光洋

朝倉光洋(あさくらこうよう:1947~2017)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤照雄/朝倉きぬ

弟子:

〔人物〕 昭和22年10月23日、宮城県仙台市宮城野区二十人町の木地業朝倉英次、きぬの二男に生まれる。朝倉秀之は長兄、公明は弟である。国立富山商船学校機関科を卒業、昭和43年4月から昭和52年10月まで、ジャパンライン㈱で機関士として働いた。その間に昭和48年27才のとき父英次と死別した。ジャパンライン退社を決めて、昭和51年ころから父の従兄弟にあたる遠刈田の佐藤照雄について木地を修業し、昭和60年に独立開業した。こけしの描彩については母きぬの指導も受けた。二十人町に工房朝倉こけし洞を開設した(後に泉区寺岡に移転した)。
平成3年、アメリカのデラウエア州にて、ロクロを使った実演とこけし絵付けの指導を行った。
平成20年2月25日に日本伝統工芸士(平成19年度)に認定された。
心臓を患い手術後静養していたが、平成29年5月2日に没した、行年71歳。

朝倉光洋 平成24年 撮影:国府田恵一

朝倉光洋 平成28年 撮影:佐藤健児朗

〔作品〕 父親の朝倉英次の型を継承した。

 
〔30.5cm(平成9年)(高井佐寿)〕

伝統の型の他にも、胴に達磨絵を描いたもの、曼荼羅こけしと称して小寸こけしを多数胴仁嵌め込んだものなど新考案のこけしも作った。木地の技術には長けて居たので木製の食器類や、玩具類も制作した。

〔伝統〕 遠刈田系周治郎系列

〔参考〕

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