朝倉秀之

朝倉秀之(あさくらひでゆき:1943~)

系統:遠刈田系

師匠:朝倉英次

弟子:

〔人物〕昭和18年9月27日、宮城県遠刈田の朝倉英次、きぬの長男に生まれた。父の英次は遠刈田新地の木地師佐藤周吾、イシの二男、朝倉きぬと結婚婿養子となって、朝倉姓に変わった。英次は秀之誕生のあと昭和20年に三度目の応召となり東京麻布三聯隊に入ったが、終戦とともに遠刈田へ帰って木地業に復帰した。昭和22年一家は秀之を伴って仙台に移り、木地製品の製作を続けた。秀之も父英次について木地を学び、昭和41年頃に描彩も行ってこけしを製作したが、一時的であった。 東北学院大学に進学し、昭和47年に同大学院修士課程を修了した。専門は英米文学。昭和57年より金沢市の北陸学院短期大学に勤務、昭和62年に渡英して約1年 ロンドン大学研究員となった。昭和63年に北陸学院理事に就任し、平成20年北陸学院大学副学長に就任した。金沢 YMCA 理事長なども務めた。 
なお、平成15年11月27日に金沢犀川ワイズメンズクラブの例会卓話において「 こけし人形の歴史」と題して講演を行ったことがあった。


前列 左より 朝倉英次・なつ・きぬ 後列 公明・光洋・秀之・理恵子

朝倉秀之

〔作品〕残っている作品も、はたして自挽自描のものか、或いは英次や職人の木地に描彩のみ行ったものか不明である。描彩は甘さに流れず、品格を保った作品であった。


〔18.0cm(昭和41年9月)(鹿間時夫旧蔵)〕 

〔伝統〕遠刈田系周治郎系列

 

〔参考〕

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