佐藤里見

佐藤里見(さとうさとみ:1928~)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤豊治

弟子:佐藤三蔵

〔人物〕 昭和3年8月11日、木地師佐藤豊治六男として宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉に生まれた。生家は寿町の通称六軒長屋とよばれ、隣家には小笠原義雄の一家が住んでいた。尋常高等小学校卒業後昭和18年4月より父豊治に就き木地挽きの修業を始めた。当時豊治は北岡木工所の轆轤を借りて営業しており、轆轤は7台あり、豊治以外は佐藤護、佐藤廣喜、高橋林平等が木地製品を作っていた。護は主に横木製品を作り、他の者は立木製品が多かった。里見はここで木地玩具を中心に独楽類、茶道具、煙草入れなどを挽き、その合い間にこけしとえじこも作った。
木地製品は北岡仙吉の経営する北岡支店に卸していたが、支店は主に遠刈田温泉の土産物を扱う店、北岡本店は北岡文左衛門の経営する米、酒などを日用品を扱う店であった。
戦争の激化とともに遠刈田の木地師も軍需産業で働くことが多くなり、里見は佐藤好秋が村上通信に3万円で売った軍需工場で昭和20年1月より働くこととなった。西田峯吉の〈鳩笛舎消息〉のこけし便り34頁には、菅野新一の現地報告がある。それによると昭和20年5月からは、佐藤文助、佐藤円吉、高橋林平が白石の航空機部分品会社で軍需品を挽くことになり、帰郷した佐藤丑蔵までもこれに参加したという。また佐藤富雄は海軍に入営した。なお父豊治は身体を壊し、この年の3月から大学病院に入院していた。
終戦後は、横須賀第2海兵団より8月に帰った兄三蔵(豊治五男)と共に、豊治を助けて働いたが、同12月に豊治が亡くなり、以降昭和24年6月までは兄弟で就業した。
昭和24年6月に警察官試験に合格し、同7月岩沼の国家警察隊に配属した。昭和29年7月から警察組織は県単位となり、以降仙台市内、古川など順調な警察官人生で、62年3月仙台北署の署長を最後に勇退した。昭和62年4月からは地下鉄の南北線の開通によって仙台市交通局に努め、また平成7年12月から同17年までは民間会社の顧問を務めた。
現在は悠々自適の生活で、週に2~3回碁会所で碁を打ったり、仲間と麻雀を楽しんでいる。記憶力極めて正確で、古い遠刈田の事に詳しい。
なお、昭和25年からはさらに弟の正直(昭和10年2月10日生まれ)も三蔵と共に木地を挽いている。

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佐藤里見 平成28年1月31日撮影

〔作品〕  こけしは昭和18年4月から同24年6月まで、軍需工場で働いた8ヵ月を除き、概ね6年間木地玩具とともに作ったが、その数はあまり多くはない。基本的に豊治の型で、面描は柔らかい筆致で、三日月眼に猫鼻、手絡頭である。豊治のこけしは通称おかめこけしと云われたもので、愛嬌のある独特の面差しで、里見は目尻が下がらないようにとよく注意されたという。
胴模様は所謂ボタ菊といわれる模様で、桜崩しより花弁が多く重複して描かれる。豊治はこのボタ菊を得意とした。里見は、ごく稀に重ね菊を描いたが、豊治から何で重ね菊を描くのだと怒られたとという。また梅模様のものも僅かながら描いたという。
兄三蔵はその後新型の木地も挽いたが、里見は24年に木地を止めたので、新型の影響をほとんど受けずに豊治型を作った。
里見の名前は、昭和22年米浪庄弌と寺方徹によって郷土趣味誌〈がらがら・5号〉により初めて紹介された。米浪庄弌は「新作こけし二種」のなかで、鳴子の大沼力、安倍賢作、松田重雄と遠刈田の三蔵、里見兄弟を取り上げ、その両産地を比較して「遠刈田のものは作りも丁寧で、非常に美しく立派な仕上がりで、うれしく思いました。色合いも鮮やかで軽快に描いた胴模様はつらつとした感じを与え、深く湾曲した眉と眼をもった顔には言い得ぬ愛嬌をたたえていました」と高く評価した。
また寺方徹は〈べに花帖・㈠〉で「佐藤三蔵、同里見は20歳そこそこの青年である。豊治のこけしは、例のおかめこけしと云われたものだが、この兄弟の造るこけしはなかなか可愛く、謂わば不肖のこけしである。鉋もよく切れて居り木地もよく、若い人には似合わぬ腕の確かさが見られる。面描きにも、胴模様にも、昨日や今日こけしを造り始めたとは思われぬ手練が伺われる。忠実に遠刈田の伝統を受け継いでいる点が好もしく感じられる。この兄弟のこけしを並べて見て、技量や可愛さの点でにわかに甲乙は付け難く、このままで延びて歪められさへしなければ、兄弟共に近い将来に亡父にも勝ったこけし作人となろう」とべた褒めであった。
戦争が終わって昭和20年代前半のこの時期、皆がこけしばかりでは無く、美しいものに餓えていたのである。三蔵、里見兄弟は米浪、寺方以外にも、川口貫一郎や橘文策などの現地報告によっても期待の若手として紹介された。

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〔右より 12.1cm(池上明)、14cm、15.2cm(箕輪新一)、18.2cm(鈴木康郎)〕

なお、三蔵、里見兄弟のこけしの区別は極めて難しい。上掲右端の池上明蔵4寸は佐藤里見本人が自分が作ったと判定した。上掲左端の鈴木康郎所蔵の6寸は岩下祥児旧蔵で、重ね菊の珍しい作品、裏に里見の名前が岩下祥児によって書かれ、種々の状況を勘案すると、まず間違いなく里見の作品と云えるであろう。左右のカセのうち向かって左の下がり方が大きい癖があり、右端4寸にも同様の傾向が見られるので一つの鑑別法であろう。面描の癖はどちらかと云うと向かって右の目尻が下がる癖があるが判然としない。中央の二本は豊治か里見か判然としない。右から2本目の作り付けは豊治の可能性が高い。左から2本目の襟付きのボタ菊模様のこけしは、向かって右の目が低い位置であるから、里見の可能性が強い。

系統〕 遠刈田系周治郎系列