加納博

加納博(かのうひろし:1954~)

系統:独立系

師匠:加納栄次

弟子:加納陽平

〔人物〕 昭和29年7月8日、木地業加納栄次、政子の長男として仙台に生まれる。昭和45年頃より、父栄次について木地挽きを始めた。昭和46年3月には名古屋こけし会からの依頼により、こけしを製作し名古屋に送っている。祖父伝三郎の弟加納正八も昭和46年に名古屋こけし会の依頼でこけし製作を復活しており、可部忠雄を中心とする熱心な人たちが加納一族のこけしを追求したと思われる。加納博自身は昭和46年の作り始めのころの状況を詳しくは覚えていない、同時期の正八の復活の経緯もよく知らないと語っていた。
加納博は縦挽きによるこけしなどの小物のほかに、横挽きによって長物と呼ばれる机の脚や、チェンバロなどの楽器の足、バットなどを挽くこともできる。
現在は若林区の自宅の作業場の他、青葉山の売店にある作業場にも出向いて作品を作る。

左:加納博、右:息子の陽平 (佐藤 健兒朗撮影 平成26年10月)
左:加納博、右:二男の陽平 青葉城址の店にて
(佐藤 健兒朗 撮影 平成26年10月)

 
加納博 平成29年12月 撮影:佐藤 健兒朗

〔作品〕 加納博は18歳からこけし製作を始めたが、その当時の加納栄次のこけしを継承して始めたと語っている。下に掲載した加納博のこけしは昭和46年3月の作で、ほぼ初作に近いものであろう。旧蔵者は可部忠雄である。

〔15.7cm(昭和46年3月)(橋本正明)〕 名古屋こけし会頒布
〔15.7cm(昭和46年3月)(橋本正明)〕 名古屋こけし会頒布品

〔30.3cm(平成12年)(高井佐寿)〕
〔30.3cm(平成12年)(高井佐寿)〕

平成に入って、頭の形は丸くなり、胴も長めの直胴に変わっていった。また眉や一側目にも湾曲が加わり、やや遠刈田風の表情になっている。

なお、博は自分で工夫して色々な変わり型や描彩を試みている。東京こけし友の会のお土産こけし(平成24年11月)には10種類の型を作ったという(こけし千夜一夜物語)。

系統〕 独立系 加納伝三郎 - 栄次 - 博 - 陽平
平成25年より、二男陽平がこけし製作を始めている。

こけしポッドキャスト 青葉こけし会 製作

 

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