遊佐福寿

遊佐福寿(ゆさふくじゅ:1930~2001)

系統:鳴子系

師匠:高橋盛

弟子:遊佐寿彦

〔人物〕 昭和5年3月17日宮城県玉造郡鳴子町木地業高橋盛、きくゑの次男に生まる。昭和14年1月一家とともに秋田市に移り、昭和19年3月秋田高等小学校を卒業した。昭和20年7月より父盛について木地を修業、こけしもこのころから作りはじめた。終戦後は本荘の由利木工で父盛や、盛の弟子皆川元一、佐々木久作、同末治とともに働き、昭和23年一家で鳴子へ帰った。昭和27年3月土橋慶三が西田峯吉蔵の高橋勘治(福寿の祖父)のこけしを鳴子へ持参し、盛と福寿に勘治型の製作を促した。このときの様子は、伊勢の〈こけし・13〉に詳しい。勘治型の写真は〈こけし・人・風土〉で初めて紹介された。昭和32年4月遊佐家へ養子に入り湯元108で遊佐こけし店を開業、昭和40年には向側の湯元211に移り、工人福寿の店を開いた。勘治型、本人型のほかに盛古型も作り、古作に対する研究にも熱心であった。鳴子木地玩具協同組合監事などもつとめ、昭和30年代、40年代には岡崎斉司桜井昭二大沼秀雄高橋正吾らと戦後の若い世代の鳴子工人の中心となった。昭和51年からは長男寿彦が木地の修業を始めた。平成13年1月25日没、行年72歳。

遊佐福寿 昭和42年

遊佐福寿 昭和42年

〔作品〕 〈こけし・人・風土〉掲載図版の頃はまだ勘治の雰囲気が出ていなかったが、深沢コレクションが鳴子町に寄贈されて以来、深沢コレクションの勘治を深く研究することが出来たので、均整のとれた量感をうまく表現したこけしを作るようになった。尺二寸の勘治型には定評がある。盛古型は、昭和43年秋から作り始めた。〈古計子加々美〉〈こけしの美〉で有名な西田峯吉旧蔵の大正期盛を復元したものであるが、古雅な型式を近代的感覚で再現し格調の高い作品を生みだしている。昭和44年には、婢子会の〈日本土俗玩具集〉図版により勘治九寸を復元したが、見事な出来であった。構成力に秀れており、作品の完成度は高い。

〔右より 34.8cm(昭和41年9月)、28.2cm(昭和44年10月)(橋本正明)〕 右は深沢コレクションの高橋勘治、左は〈日本土俗玩具集〉の勘治の復元
〔右より 34.8cm(昭和41年9月)、27.9cm(昭和44年10月)(橋本正明)〕
右は深沢コレクションの高橋勘治の復元、左は〈日本土俗玩具集〉の勘治の復元

〔右より 26.4cm、20.5cm(昭和49年)、24.5cm(昭和43年10月)西田峯吉蔵盛の復元、18.2cm(昭和44年3月)
〔右より 26.4cm、20.5cm(昭和49年)、
24.5cm(昭和43年10月)西田峯吉蔵盛の復元、18.2cm(昭和44年3月)(橋本正明)〕

下掲は盛の古型復元。左端は昭和55年1月にこけしの会主催で行われた「古作とその写し展」に出品されたもの。復元の元になったものは植木昭夫蔵の大正末期の作。植木昭夫は「明澄な表情を再現すると共に、胴の菊花は、むしろ伸びやかに開いて、明るい顔に照応し、安定したバランスを生み出している。〈木の花・24〉」と書いた。

〔20.0cm(昭和48年9月)、20.5cm(昭和54年)(橋本正明)〕
〔20.0cm(昭和48年9月)、20.5cm(昭和54年)(橋本正明)〕

〔伝統〕鳴子系列右衛門系列。後継者の長男寿彦は現在運転手として働いており、こけし製作は休業している。

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