渡辺忠蔵

渡辺忠蔵(わたなべちゅうぞう:1921~2008)

系統:土湯系

師匠:渡辺作蔵

弟子:

〔人物〕 大正10年3月25日、農業渡辺伊勢松・トヨの次男として福島県土湯温泉に生まれる。母トヨは明治27年うまれ、山根屋渡辺作蔵の末子三女、久吉、角治、房吉の妹であり、忠蔵は作蔵の孫に当たる。家は作蔵のいた山根屋本家の隣にあった。忠蔵9歳のときに作蔵は没したので、あまりはっきりした記憶はないが、菓子をもらったことくらいは覚えていると語っていた。昭和8年3月土湯尋常高等小学校を卒業、長らく山仕事と養蚕業に従事した。昭和17年1月応召満州第675部隊入隊、新京第2陸軍病院(第114部隊)等をへて、北中支に転戦、昭和21年4月帰還。23年千代と結婚、初江、美奈子、公代の三女がある。34年より見取り学問にて木地修業、38年より独立営業、今日に至る。昭和37年1月鹿間時夫のすすめにより鯖湖型を製作、同年11月ころより作蔵型の製作も開始した。作蔵型、本人型、鯖湖型の3種を作った。面倒見がよく、堅実な人柄であったため、区長や、土湯木地組合の役員等を務めた。平成20年4月24日没、行年88歳。

渡辺忠蔵 昭和42年9月 〈こけし這子の話〉の作蔵を復元しているところ。

渡辺忠蔵 昭和42年9月 〈こけし這子の話〉の作蔵を復元しているところ。

〔作品〕 昭和37年に鹿間時夫の鯖湖を復元したものは〈こけし美と系譜〉に掲載された。ここに示した昭和39年作はかなり安定して完成された鯖湖型。

〔19.5cm(昭和42年9月)作蔵型、21.3cm(昭和39年)鯖湖型〕
〔右より 19.5cm(昭和42年9月)作蔵型、21.3cm(昭和39年)鯖湖型〕

作蔵型の初作は米浪庄弌蔵の作蔵に近く、頬の下が張れてみけんの開いた型を作っていた。42年ころより佐久間貞義蔵や西田峯吉蔵の作蔵の顔を研究、特徴ある表情を出そうと努力し、かなりの進歩があった。上掲写真右に示した作蔵型は、昭和42年に〈こけし這子の話〉の天江富弥蔵を見て製作したもの。眼点は忠蔵の癖が出ているが、形態や胴の色調や滲みはよく現物の雰囲気を再現出来ている。


〔右より 12.6cm、18.4cm(昭和41年)、9.0cm(昭和43年)(橋本正明)〕 作蔵型

本人型も作るが、その型は時期によってかなり変化がある。基本的に土湯の一般的平均的な様式であった。

〔伝統〕 土湯系湊屋系列、山根屋。

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