一部のこけしには、鬢の後方に赤線や墨でごく抽象的に耳状の飾りを描いたものや、墨で具象的・写実的に耳を描いたものがある。これらには、工人が意図的に耳として描いたものと、鬢の飾りのつもりで描いたものを、蒐集家が俗称「耳」と呼んでいるものがある。

赤線の耳

赤線の耳の作者は横川から分化した遠刈田・弥治郎及びその転出先や、遠刈田の古式を残す青根、秋保、肘折にも見られる。比較的古い作者に共通して見られることから、あるいは二人挽き時代から伝わる描彩かも知れない。
蔵王高湯にも遠刈田・青根から伝わる模様が多いが、耳を描いたこけしは見られない。

下記に代表的な作者を挙げる。
弥治郎:佐藤今三郎、佐藤慶治、佐藤春二(青)、新山久治、新山栄五郎、本田鶴松、本多亀寿、高橋精助
飯坂:佐藤栄治、佐藤喜一
青根:小原直治、佐藤菊治、菊池孝太郎
秋保:佐藤三蔵
作並:平賀謙蔵
遠刈田:佐藤治平
肘折:奥山運七、奥山喜代治

弥治郎系の耳 右より 新山久治、佐藤栄治、佐藤喜一 栄治親子の「耳」は鬢飾りの変型

弥治郎系の耳
右より 新山久治、佐藤栄治、佐藤喜一
栄治親子の「耳」は鬢飾りの変型

秋保 佐藤三蔵(深沢コレクション)

秋保 佐藤三蔵(深沢コレクション

平賀謙蔵の「耳」 三筆の鬢飾りを続けて描いて耳状になったもの

平賀謙蔵の「耳」
三筆の鬢飾りを続けて描いて耳状になったもの

肘折 奥山運七の「耳」 これは耳として描かれているようだ。

肘折 奥山運七の「耳」
これは耳として描かれているようだ。

弥治郎から小原に移転した本田鶴松などはS字に近い飾りだが、同種の鬢飾りの変形と推測できる。
同じく飯坂に転出した佐藤栄治(飯坂)、佐藤喜一は複雑化した様式で、温海の阿部常松や弥治郎から下ノ原に転出した渡辺幸九郎に類似の飾りが見られる。

墨の耳

弥治郎:佐藤伝内、佐藤幸太、佐藤今三郎
喜多方:小椋千代五郎、甚九郎
遠刈田:佐藤丑蔵(地蔵型
天童:神尾長八
大鰐:間宮明太郎、間宮正男

佐藤伝内(深沢コレクション) 墨で描かれた耳

佐藤伝内(深沢コレクション)
墨で描かれた耳

弥治郎 佐藤今三郎の耳 (深沢コレクション)

弥治郎 佐藤今三郎の耳 (深沢コレクション)

墨の耳を描く作者は、髪飾りとしてではなく、はっきりと耳の形を描いている。
弥治郎の佐藤伝内は墨で耳を描き、髪飾りは赤と青で描いている。
墨の耳の作者はそれぞれ系統を越えた関連性は薄い。

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